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連載

をんな千一夜 第72話

坂根 田鶴子 映画監督「第一号」の悲運
石井 妙子

2023年3月号

 映画監督に憧れる男性は多い。お笑い芸人が知名度を利用して映画監督になる例も昨今は見られ、また、安倍晋三元総理も映画監督になりたがっていたと昭恵夫人は語っている。だが、戦前まで監督になる道は、そう安易なものではなかった。映画会社に入社し、旧弊な徒弟制度の中で修業を積む。そこは完全な男だけの縦社会で、監督は大勢の男性スタッフを率いていく。女性の姿は女優や結髪の他、補助的な仕事をする人がわずかにいるばかりだった。
 女性初の映画監督として知られるのは、ナチス全盛期のドイツでヒトラーに信頼されて活躍したレニ・リーフェンシュタール。一方、日本では女優の田中絹代が戦後、監督になった例がつとに知られ、彼女が女性監督第一号のように、長く思われてきた。だが、戦前の日本にも女性映画監督がひとりだけ存在する。昭和十一年に初作品を撮った坂根田鶴子である。
 坂根は明治三十七年に京都で生まれた。生家は縮緬織の織元で、かつ父は発明家としても知られる資産家だった。坂根は経済的に極めて恵まれた環境に育ち、京都府立高等女学校を卒業した後、さらに同志社女子専門学校英文科(現・同志社女子大学)に進学す・・・

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