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連載

本に遇う 連載127

香気立ち上る堀口大學
河谷 史夫

2010年7月号

 三好達治に絶品「郷愁」がある。

「蝶のやうな私の郷愁!……。蝶はいくつか籬を越え、午後の街角に海を見る……。私は壁に海を聴く……。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣りの部屋で二時が打つ。『海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。―海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。』」

「この詩人の発見を、コロンブスのアメリカ発見にも劣らない大発見」と堀口大學は称えた。
「世界中の人間が使ふどの言葉も、三好君のこの三行より美しくは無い」とも賞した。
 堀口大學は一八九二年生まれ、三好より八歳年長で、フランス語に通じ、宝石箱のような訳詩集を出し、珠玉のごとき詩歌を書いた。
 海を見る時、わたしは遠い昔へと帰っていくような気分にひたるが、あれはきっと我々の遥かな旅が海から始まったと気づくからだ。
そういう時、ジャン・コクトーの「耳」を口ずさむ。親しんだ堀口大學の訳である。
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