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連載

皇室の風28

山階宮晃親王の遺言
岩井克己

2010年12月号

 自らの葬儀を神式ではなく無宗教で営んでほしいとの秩父宮の遺言は、弟高松宮らの状況判断で叶えられなかった。ただ、当時は異例だった火葬の希望は叶えられ、以後、天皇、皇后以外の皇族は火葬されるようになっている。
 自らの葬儀について遺言が叶えられなかった皇族には先例がある。
 山階宮晃親王。葬儀を仏式で営むよう遺言したが、明治政府は認めなかった。
 一八一六年(文化十三年)に伏見宮家に生まれ、翌年には京都山科の門跡寺院・勧修寺を相続し出家していたが、徳川慶喜らの働きかけで還俗。国事御用掛として激動の幕末政治に活躍し有名な小御所会議にも列席した。
 佐久間象山は「此節京都に於て第一等の豪傑」と評し、勝海舟も「実に卓識なお方で、世間が攘夷説で騒いでいたころから、既に開国説をもっておられた」(『氷川清話』)と語っている。
 人情細やかなところもあったようで、『山階宮三代』(山階会編)によると、息子の菊麿王と同妃範子に対して「菊宮は鮪のすしが好きだが、京には鮪がないから、取り寄せるように魚屋に申し付け、範君は鯛うどんが好きだし、御多福豆の煮たのも好・・・