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連載

追想 バテレンの世紀 連載83

キリスト教禁令と大名たち
渡辺 京二

2013年2月号

 話が前後するが、幕府は一六一二年にキリスト教禁圧に踏み切った。これはクローヴ号が来朝し、イギリス平戸商舘が設けられる前年である。

 禁圧のきっかけは有名な岡本大八事件にあった。大八は家康の寵臣本多正純の家臣であるが、有馬晴信に、マードレ・デ・デウス号焼き打ちの功によって、今は鍋島領となっている有馬の旧領が返還されるように斡旋しようともちかけ、多大の金品を受け取っていた。

 約束が実現されぬのにじれた晴信は、一六一一年一一月、自ら駿府に上って、事の進み具合を確かめようとした。嗣子の直純とその妻国姫も同行したが、宣教師側の文献は、直純が父を隠居に追いこむために、この件で幕府に讒訴するつもりだったと伝えている。国姫は家康の曽孫に当り、直純は一六一〇年に正室を離別して彼女を迎えていた。

 晴信と大八の揉め事は家康の法廷で審理され、大八は金品詐取のかどで、一六一二年四月に火刑に処せられたが、晴信の身も無事にはすまなかった。マードレ・デ・デウス事件の際叱責されたのを怨んで、長崎奉行長谷川左兵衛を謀殺しようとしたと大八から告発された・・・