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連載

追想 バテレンの世紀 連載115

ついに原城陥落へ
渡辺京二

2015年10月号

 二月も九日になると、城中の食糧事情もかなり切迫してきたらしく、落人の話では、四郎も食事は下々の籠城衆と一向変らず、食つきなば共にかつえ死すべしと言っているという。一六日の落人は一四日から「扶持」がなくなり、この二日は麦や大豆ばかりで米を喰っていない、城中では家探しして隠した食物を求めていると告げた。

 山田右衛門作の供述によると、四郎が本丸で碁を打っていると、鍋島勢の井楼から発射した大筒の弾が四郎の袖を裂き、傍らの男女が死ぬという出来事があり、四郎様にさえ弾丸が当るというので、一揆勢は動揺したという。これは細川藩士が家老へ出した手紙で、二月一四日鍋島の石火矢が四郎の「おとな」つまり部将の一人を撃ち殺したと報じているのと同一事件であろう。

 原城攻囲軍の前線は北から、細川、立花、松倉、有馬(久留米)、鍋島、寺沢、黒田の各藩兵となっていて、これを「先備えの七家」と称した。二一日の真夜中、一揆勢は五千の兵を繰り出して、このうち鍋島、寺沢、黒田の陣営を襲った。各陣営とも不意のこととて混乱したが、陣営を突破しようとして夜襲した訳ではないらしく、反撃さ・・・