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社会・文化

ばら撒かれるTPP「ゾンビ補助金」

農村栄えて納税者がバカをみる暴挙

2017年3月号公開


「安らかに眠れ」と環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)のお墓のパロディ写真をホームページに掲げたのは米国のコメ業界の団体「USA Rice」だ。「死亡日」は一月二十三日。トランプ米大統領が「TPPからの永久離脱」の大統領令に署名した日だ。写真に添えられた記事は、TPPからの離脱を歓迎している。米国の離脱でTPPは発効しないが、だからと言って現状の輸出機会に影響はなく、二国間交渉で日本のコメ市場への参入を拡大するべきだと訴える。
 TPPから離脱しても米国のコメ業界への影響はほとんどないという、この分析は正しい。仮に協定が発効しても日本のコメの高率関税は温存され、コメの輸入業務は農水省による国家貿易が続く。「二十一世紀型の自由貿易協定」とは名ばかりの管理貿易への先祖返りだ。日本側は年間五万トン(発効後三年、十三年目以降七万トンに漸増)の米国産のコメの輸入枠を新たに設けるが、政府は「購買を約束したわけではなく、単なる枠だ」と説明している。TPPが死んでも米国が失うものはほとんどなく、二国間交渉への期待の方が勝るというのが現状だ。
 安倍政権は、依然として米側に「翻意」を促す構えだが、日米首脳会談で貿易・投資分野などを幅広く協議する枠組みの新設で合意しており、それが自由貿易協定(FTA)になるのか、自動車や牛肉など個別の分野別協議になるのかは別として、遅かれ早かれ二国間協議が始まるだろう。したがってTPP対策のために用意した国内対策や予算措置はいったん、白紙に戻すのが筋だ。しかしそうはならないのが自民党農政の奥が深いところだ。
 既に昨年から、小泉進次郎自民党農林部会長は「日本の農業はTPPに関係なく危機的状況。農家の高齢化が進み、日本の農業は持続可能でない」と発信、農業改革を推進する構えだ。「TPP対策」は「農業改革支援」とすり替えられ、TPP審議の過程で手にすることが確実になった予算を、自民党・農水省は決して手放さない。その典型例は「マルキン」と呼ばれる畜産対策と、「NN」と呼ばれる農業・農村整備事業だ。

与野党相乗りで「マルキン」拡充

 およそ世の中の賭け事で、「値上がり益は天井なし、損失は九割補填」というルールがあるとしたら、そんなうまい話はないだろう。これが食肉の世界では現実になる可能性が高い。例えば、百万円で買った牛が思惑を外れて値下がりしても、九十万円までは補填されて損失は十万円で済む。
 牛や豚の価格が下落してコスト割れになった時にその損失を補填する制度を緊急事業という意味で「マルキン」という。正式には(牛肉の場合)、肉用牛肥育経営安定特別対策事業、独立行政法人農畜産業振興機構(alic)が運営し、牛や豚の価格が下落すると八割を補填する。従来は年次の予算措置として実施されてきたが、TPP対策として、畜産業者が安心できるよう制度として立法化し、補填比率も九割に引き上げる。このための「畜産物価格安定法改正」が昨年の国会で成立している。ただし法律の発効は「TPP発効時」とされ、このままだとTPPと心中、絵に描いた餅となる。子牛相場は、すでに昨年初め頃からマルキンの法制化を先取りする形で暴騰しておりバブル状態だ。仮にマルキン法制化と補填率九割への引き上げが見送りとなれば、相場の暴落を免れない状況だ。
 自民党は昨年十二月十日に開いた農林関係会議でマルキンについて「必要があると認めるときは、速やかに検討を加えて、その結果に基づき所要の措置をとる」と決
議。TPPの発効と無関係に先行拡充する議員立法を検討している。これを批判すべき野党も、二月二日に民進、共産、自由、社民の四党が、牛・豚マルキン事業をTPP発効に関係なく速やかに法制化するための法案を共同で衆院に提出した。今国会では、与野党相乗りの議員立法でマルキンが拡充される可能性が高い。

農政改革はまったくの見掛けだけ

 一方のNNとは、自民党の二階俊博幹事長と西川公也元農相(現・自民党農林・食料戦略調査会会長)の頭文字であり、農業土木利権の二人のリーダーのことだ。田畑の維持に不可欠な水利の管理、農地の造成、土地改良など水田の整備は長らく自民党の利権だった。それをひっくり返したのが二〇〇九年八月三十日の総選挙で圧勝した、当時民主党の小沢一郎幹事長だ。土地改良予算を実に六割も削減し、これを原資にコメ農家に直接助成金を配る「農業者戸別所得補償制度推進事業」を始めた。
 当時の全国土地改良事業団体連合会(全土連)の野中広務会長が政敵に「ひれ伏して」、予算の全廃を思いとどまるよう小沢氏に懇願したのもこの時だ。すっかり干し上げられて枯死寸前だった全土連の政治力は、一二年末の自民党の政権奪還で蘇り、現在の会長は二階幹事長だ。
 自民党の農村における公約の一つが、土地改良予算の復活であり、毎年約二千億円ずつ三年で約六千億円に復活というペースで予算が付けられてきた。一七年度予算案では四千二十億円を計上、一六年度補正予算と合計すると五千七百七十二億円となり、民主党政権で大幅に削減される前の〇九年度予算とほぼ同額に復した。「何が何でも」という点でもまさしくNNなのだ。TPPは、この全土連復活の口実として利用されてきた。小泉農林部会長は「家庭教師役」の改革派官僚である奥原正明農林水産事務次官の振り付け通り「補助金農政から決別する」「担い手の育成や経営発展の促進は補助金ではなく融資や出資で対応する」と強調してきたが、農業土木予算は、文字通りの先祖返りだ。
 奥原次官が、TPPに対応するため、稲作の経営効率化が必要だというロジックの下に進めてきた農地中間管理機構(農地集積バンク)の整備にも、この農業土木予算は使われる。農業から撤退して自分の農地を農地集積バンクに預ける零細農家のために、農地の改修費を国が全額負担し、農家の負担をゼロにする。一七年度予算では前年度比倍増の百五十五億円を計上した。例えるならば、老朽マンションの処分に困っているオーナーに、リフォーム費用を全額国が負担し、それを賃貸に出せるといううまい話だ。それと同じことが農村では平然と行われ、自民党にとっては百五十五億円の血税で農村票を買うようなものだ。
 マルキンにせよNNにせよ、その実態は納税者にはほとんど知らされていない。安倍政権が守旧派のJAグループに圧力を掛けて農政改革に果敢に取り組んでいるという構図は見掛けだけだ。表ではJAグループ、とりわけ商社機能を担う全国農業協同組合連合会(JA全農)を叩きつつ、裏では零細農家にしっかりと補助金をばら撒く。JAグループは選挙で自民党を応援して翼賛団体化する。なんのことはない、「死せるTPPにゼニをばら撒く」の図である。

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