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社会・文化

北海道「霧」の物語

道東の夏を濡らす「白い闇」

2022年8月号

 北海道東部の夏は、照りつける暑さと、ストーブを焚くほどの寒さが交互にやってくる。
 道東の主産業は酪農。つまり、人間が食べるものが成育できないほど夏が寒いので、牧草やコーンを育て、牛に食べさせて乳や肉を得る。
 夏の日照と気温を奪う大きな要因が霧だ。海霧。地元では「ガス」または「ジリ」と呼ぶ。「今日はガスが濃い」「ジリが引かんので牧草が乾かん」などと言う。釧路の夏の霧日数は月に十六日。二日に一回は霧に包まれる。
 雲散霧消というように、古来、霧ははかないもの、頼りないものと考えられ、『源氏物語』にも「きりわたれる空」という表現がある。
 しかし、道東の霧は手強い。「ジリ」という名のごとく、じりじりと海から押し寄せる。水分の多い季節風が冷たい千島海流に触れることで霧が発生し、それが海風に乗って内陸までやってくる。湿原の展望台から見ると、それはまさしくゆっくり攻め寄せてくる「白い壁」だ。街を覆い、平地を埋め、丘をのみ込み、やがて、あたりが濃い霧に包まれる。太陽からの光と温もりを奪われ、衣服をじっとりと湿らせる。樹木も道も輪郭を失い、自分の立ち位置さ・・・