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連載

をんな千一夜 第102話

戦争を生きた「疾走の作家」
石井 妙子

2025年9月号

 戦後80年の夏を迎えて、テレビは特集を組み、書店にも戦争に関連した書籍が並ぶ。敗戦の年に生まれた人でも80歳。成人だった人になると100歳以上ということになる。そして体験者はまもなくいなくなる。
 この夏、戦争を題材にした映画やドラマをいくつか見たが、何か物足りなさを感じてしまった。制作者が戦争のリアリティをイメージできなくなっているのではないだろうか。
 そんなことを考える中で、林芙美子の長編小説『浮雲』を読み返し、この小説が優れた戦争文学であることに改めて気づかされた。
 本作は成瀬巳喜男監督の手により映画化もされている。主演は高峰秀子と森雅之。男女の不毛でやるせない不倫関係を描いた作品という印象を強く抱いたが、今回、原作を読み直してみて、大陸へ東南アジアへと進出していった「日本」や「日本人」を一組の男女に託して、戦争を描いている作品なのだと再認識した。
 同居する義弟との不貞関係に悩む主人公のゆき子は、すべてを清算しようと考えて、太平洋戦争の最中、仏印(ベトナム)へ渡りタイピストとして働く道を選ぶ。フランスの影響を色濃く受けた南国。祖国と・・・

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