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政治

危ない「ポスト鳩山」候補 原口一博

小沢への忠誠だけが取り柄の「夜郎自大」男

2010年2月号公開

 いつか総理大臣になる男―そんな自称の押し売りは河村たかし名古屋市長の専売だと思っていたが、さにあらず。「ポスト鳩山」の有力候補に擬されている民主党の原口一博総務大臣もまた、あちこちで吹聴していた。
 エネルギー産業の幹部は原口と初めて食事をした時の印象を忘れることができない。
「初対面の相手に『私は必ず総理になる』と繰り返す。この人は何だろう、と驚いた」
 野望が現実味を帯びるにつれ、勇ましい発言は逆に影を潜めたが、原口の本気度は相当のようだ。
 一月中旬に渡邉恒雄・読売新聞社主筆、氏家齊一郎・日本テレビ代表取締役と会食し、「応援している」と激励されたことも、原口を舞い上がらせた。一月十四日に外国人特派員協会で講演した際、渡邉に対する評価を問われた原口は、質問になかった氏家の名も挙げて、「言論の自由への抑圧と戦ってきたカリスマ」と持ち上げた。
 朝日新聞は次期宰相に「朝日ファン」を自任する岡田克也外務大臣を待望する。読売・日テレが原口を推せば、「ポスト鳩山」はマスコミを巻き込んだ「岡田VS原口」の構図になりそうだ。

小沢の謝意に嗚咽


 しかし、なぜ、原口なのか?
 党内基盤は脆弱だ。特定集団に属さず、強いて言えば羽田グループの一員とされる。ただ、小沢一郎幹事長への心酔ぶりは突出していて、「小沢先生の素晴らしさは多角的な視点と直感力で、尊敬する松下幸之助さんのようだ」と称賛する。昨年五月に小沢が西松建設の違法献金事件で党代表を辞した時、小沢支持の「一新会」で原口を後継代表に担ぐ動きがあったのも、そのためだ。
 小沢の資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡る政治資金規正法違反事件でも、原口は小沢擁護の姿勢を崩さない。原口が二十人以上も大量委嘱した総務省顧問には、元検事で、小沢に対する東京地検特捜部の捜査を批判する郷原信郎も含まれている。
 小沢が代表を辞任する際、原口に電話で「支えてくれてありがとう」と謝意を述べ、原口は嗚咽して、「力になれず申し訳ありません」と謝った、そんな関係だ。今も鳩山内閣の閣僚で小沢との面会頻度が最も高いのは原口だ。
 小沢グループは党内最大勢力ながら、次世代の代表候補を持たないことが悩みだ。そこで、バラエティから報道系まで幅広いテレビ番組の常連で、松下政経塾や自民党佐賀県議の時に鍛えた弁論能力が売りの原口に目を付けた。古いタイプの政治家が眉をひそめる薄い茶色の髪(実は地毛)も、若手からは「新世代の政治家らしくていい」と好感される。ホームページに自作の詩をアップし、活動報告も文学的だ。閣僚で初めてツイッターを使い始めた。「小沢への忠誠、若さ、軽さ」に加え、こうした「斬新さ」が原口を代表候補の一角に押し上げた。昨年の擁立論の時と違うのは、小沢支配が強まったことと、「民主党代表=総理大臣」という政治情勢の変化だ。

浅はかなる報道批判


 原口は最近、「財務省の時代は終わった。これからは総務省の時代だ」と豪語している。官僚の間では「長妻昭厚生労働大臣のような神経質な官僚嫌いでも、岡田のような見かけ倒しでもなく、前原誠司国土交通大臣のような高慢さもない」と肯定評価がある。一方で、「肝が小さい」という人物評も少なくない。総務次官の異例の交代を巡り、日本経済新聞一月六日付に「鈴木康雄次官を更迭」とスッパ抜かれると、訪問先のインドで同行記者団を集め、「誤報だ」と否定したことが好例だ。結局、鈴木交代の辞令はほどなく発令された。原口周辺は「『更迭』の部分が誤報で、人事自体は否定していない。政権交代したのだから異例なのは当たり前。更迭と書かれて腹を立てた」と開き直る。それなら人事を差し替えるぐらいの度胸を見せればいいが、できなかった。
 こんな人物に権力を委ねることへの不安を少なからぬ関係者が口にする。そして、不安に拍車をかけるのが、原口の目指す国家像の方向性が見えないことだ。
 例えば、組閣一週間後に訪米し、鳩山内閣でワシントン詣で一番乗りを果たし、「親米保守」ぶりをアピールしたが、米側では以前から、原口を旧社会党出身の仙谷由人らとともに「左翼過激派とつながりがある人物」と見ていた。「戦争のない世界を作る」という反戦路線や「権力と戦う」という闘争姿勢は、米国が懸念する背景を疑わせる。対照的に、周囲には「私には明治維新の佐賀藩士の血が流れている。テロリストの血を抑えるのが大変だ」と、右翼的な表情も見せる。一見矛盾するふるまいの原点が左翼思想なのか、ナショナリズムなのか、判然としない。
 権力の抑制にも無頓着だ。
 原口が掲げる日本版FCC(米連邦通信委員会)構想や、マスメディアの集中排除原則の法令化・緩和方針は、政府による放送・通信・報道機関の管理強化につながりかねない。そうした懸念には「表現の自由、報道の自由、そして報道機関の生き残りのためだ」という説明を繰り返してきた。だが、その言葉は、小沢の資金管理団体の事件を巡るテレビ報道について「公共の電波を使う以上、『関係者によると』の『関係者』が検察側か、弁護側か明らかにすべきだ」と、報道機関に取材源の公開を命じるかのような発言をしたことで信用できなくなった。放送事業者の監督権を持つ大臣だけに、批判を受けて「メディアではなく検察への注文だ」と釈明したり、「感謝されこそすれ、非難される筋合いはない」と反論したりしても、後の祭りだ。報道批判で小沢の歓心を買うつもりだったのなら、浅はかと言うしかない。
 小沢肝いりの政策などに時折異論を唱えるのも、原口流の打算が働いている。小沢が政府提出での実現を求める外国人参政権付与法案に慎重姿勢を見せ、陳情改革には全国知事会で「有権者に選ばれた皆さんが門番に何かを言わなきゃいけないなんて、あってはならない」と苦言を呈した行動の原動力は勇気と信念だけではない。小沢が失脚した時の保険にもなるし、小沢側には「小沢の言いなりでないところを見せれば党内の支持も広がり、原口を裏で操りたい小沢も動き易い」というメッセージがしっかり伝わっている。小賢しい。
 東京大学で心理学を学んだ原口は「心理学上、人間のリミット数は七だ」として、総務大臣としての仕事分野を七つより増やさないと語る。今の原口には七つの権能でも過分で危険だ。それなのに、行政全体を指揮する総理大臣の仕事が務まると思い込むのは、鳩山由紀夫総理大臣の無能ぶりを間近で見ているからだ。これでは「ポスト鳩山」レースは究極の「悪さ加減の選択」になる。
(敬称略)