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連載

追想 バテレンの世紀 連載50

ヨーロッパが讃えた少年たち
渡辺 京二

2010年5月号

 少年使節四名、教師役のパードレ、ディオゴ・デ・メスキータ、日本人修道士一人、日本人同宿二人を引き連れて、ヴァリニャーノがマカオへ着いたのは、一五八二年三月九日である。旅立つに際してはひと騒ぎあった。母親たちが泣いてわが子をひき留めたのである。海に出ると、猛烈な船酔いを初めて経験した。ミゲルは「五臓六腑も吐き出されるのではないかと思った」と語っている。
 マカオで一〇カ月風待ちして、この年の暮れゴアへ向かう。シンガポール海峡で、舟を棲家として暮らす漁夫たちを見て心がなごんだというのは、故郷の漁師たちを想い起こしたからだろうか。しかし、マラッカを出てからが大変だった。炎天のもと風はなく、船は進まない。暑さは暑し、水もやがて切れかかる。マンショは病床に臥して危く死ぬところだった。ヴァリニャーノは夜も眠らず必死に看病した。
 やっとインド南端に上陸し、コチンに着いたのは一五八三年の四月、ここでも半年風待ちして一〇月になってゴアに到着した。少年たちはポルトガルのインド支配の現状を初めて目のあたりにしたのである。ゴアにも半年間滞在、その間、ポルトガルの海外布教史をみっちり頭に・・・