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連載

皇室の風 連載22

奥日光天皇疎開秘話
岩井 克己

2010年6月号

 敗戦という未曾有の危機に直面して、奥日光に疎開した皇太子明仁親王を守る大人たちの多くが「皇統護持」に命を懸ける覚悟をした。しかし、皇太子ら学習院初等科六年の子どもたちにとっては、東京大空襲も話に聞いて想像はするものの、むしろ募る空腹と親元を離れた寂しさがつらかったようだ。
 たまの面会日、同級生たちは東京から訪ねて来た家族との再会を喜んでいたが、皇太子だけはそれもかなわなかった。
 昭和八年生まれの皇太子は同十二年三月、三歳で両親の昭和天皇夫妻、姉の内親王たちと引き離され、皇居から赤坂の東宮仮御所に移された。
 赤坂に別居した時から傅育官を務めた東園基文は、旧仙台藩主伊達家の三男。北大で馬術部主将として活躍したあと拓務省に勤務していたが、北白川宮成久王の次女で明治天皇の孫にあたる佐和子女王と結婚した直後、東宮傅育官を命じられた。戦前・戦中を通じて幼い皇太子に仕え、皇太子もよくなついていたようだ。寝所で皇太子が寝入ったと思って立ち去ろうとすると「ヒガ、ヒガ」と何度も呼び戻された。心細そうな幼い声は生涯耳の底に残っていたという。
 筆者は平成八年夏・・・