三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌書店では手に入らない、月刊総合情報誌

経済

「自動車」から見放される新日鐵

「高品質」が神通力を失った

2010年9月号公開

 七月に日米両国で発表されたトヨタ自動車の最高級車「レクサス」のリコール。通常の走行時に「エンジンが止まる」というクレームが販売店などに複数件寄せられ、同社が原因を調べたところ、エンジン内に空気と燃料を送り込むバルブの動きを助ける「バルブスプリング」と呼ばれる部品に欠陥が見つかった。
 トヨタのリコール自体はもはや珍しいニュースではないが、今回の案件では、もう一人の「隠れた主役」の方に関係者の注目が集まっている。このバルブスプリングの素材を作ったのが、日本のモノづくりの最高峰を自負してきた新日本製鐵だったからだ。マスコミは恐らく新日鐵に「遠慮」してのことなのだろう、どこも書いていない。

考えられないミス


 トヨタの発表資料によると、スプリングの元となる線材の製造過程で微小異物が混入したのが原因とみられ、放置すると異音が生じるほか、場合によっては欠損する危険性があるという。バルブスプリングの欠陥を原因とする事故はまだ起きていないものの、「自動車メーカーが最も神経を使うエンジンでのトラブルなだけに、報告を聞いた時は一瞬背筋が凍った」(トヨタ系ディーラー幹部)。
 新日鐵にとって上得意の、しかも旗艦車種に二十七万台に上る回収・無償修理をもたらしたバルブスプリングは、長さがたった数センチ、重さ数十グラムという小さなパーツ。ボディなどに使われる表面処理鋼板などと違って消費者の目に直接触れることはないが、自動車の心臓部を構成する重要部品であるがゆえに、「手抜きは決して許されない」(ライバルの鉄鋼メーカー幹部)はずだった。
 今回、不良品が発生したのは線材を作る「炉の中に不純物が混じっていたからではないか」と鉄鋼業界関係者は指摘する。高炉や電炉内部に不純物が紛れ込まないよう注意することは、鉄鋼の強度や粘り等を設計通りに出すために欠かせない最も基本的な仕事。さらに定期的に炉の清掃・改修などを行って生産ラインを常に万全に保つことは、品質維持のための絶対条件とされている。長らく国内鉄鋼業界の覇者として、粗鋼生産量とともに「高品質」を売りにしてきた同社にしては考えられないミスとの声が多い。現場に何らかの「異変」が起きているのだろう。
「エコカー補助金が切れる前の駆け込み需要で新車販売が盛り上がっている書き入れ時に、炉をメンテナンスする手間を惜しんだのでは」(前出の鉄鋼メーカー幹部)。あるいは、原料炭で二〇〇九年度比五割増、鉄鉱石で同二倍にまで跳ね上がった原料価格の高騰で利ざやの減った新日鐵が、「コスト増につながるとの懸念から品質管理面での不断の努力を怠ったのではないか」(他の自動車メーカー大手幹部)と指摘する向きもある。
 ちなみにレクサスのリコールの影響は、「プリウス」のように電子制御プログラムを店頭で変更すれば済むものではない。エンジンを取り出す手間や部品の交換などに数週間、費用も「一台当たり数十万かかる」(前出のディーラー幹部)。レクサスは社用車として使われているケースも多いため、「代車を回すのにも四苦八苦した。これまでのリコールに比べ今回は深刻だ」(同)。このためトヨタ内部では「補償問題は当然生じる。場合によってはこれからの鋼材の購入価格に今回の影響分を加味してもらったとしても、新日鐵側から文句は言われないだろう」と話す幹部もいる。
 しかし、新日鐵の「蹉跌」はレクサスでのリコールという局所的問題にとどまりそうもない。同社の凋落を予感させるもっと大きな「構造的な変化」が別方面で進んでいるのだ。「マーチ・ショック」である。

敬遠される日本製鋼材


 七月にモデルチェンジ車が発売された日産自動車のコンパクトカー「マーチ」。日本の自動車メーカーの量産車としては初めて、生産拠点をタイに全面移管したことでも話題を集めた。販売面でも七月の国内輸入車販売では独フォルクスワーゲンを差し置いてトップになった。輸入車ランキングで日本の逆輸入車が首位に立ったのは一九九六年のホンダの「アコードワゴン」以来だ。しかもアコードワゴンは米国製だったが、今回のマーチはタイという新興国で造られたクルマ。「品質にうるさい日本のユーザーに受け入れられたのは画期的なこと」(大手証券アナリスト)と受け止められている。
 だが、新日鐵にとって衝撃だったのは、「このマーチに日本製の高級鋼板が全く採用されなかったこと」(新日鐵幹部)だ。日産を含む日本の自動車メーカーは従来、燃費向上等を目的に、軽量でありながら強度に優れる「高張力鋼材(ハイテン)」の使用比率を高めてきた。このハイテンこそが新日鐵など日本の鉄鋼大手各社が最も得意としている看板製品だった。
 ところが日産は生産コストを圧縮するため、現地の鉄鋼メーカーから調達した部材も使える「Vプラットフォーム」と呼ぶ新しい車台を仏ルノーと共同開発。今回、Vプラットフォームを採用したタイ産のマーチは韓国や中国、さらにはインドメーカーからも鋼板を調達した。でありながら走行の安定性を示す「ねじり剛性」は、従来のプラットフォームと比べて一〇%向上させることに成功した。となれば今後、マーチ・ショックに見られた“新日鐵離れ”が、日産以外にも広がっていくことは火を見るより明らかだ。
 自動車メーカーの生き残りのカギが、新興国におけるシェア拡大にあることは言うまでもない。鋼材供給で切っても切れない縁にある世界の鉄鋼メーカーも、足並みを揃えて新興国シフトを急いでいる。ところが「日本勢はもう取り返しがつかないほど、海外進出が遅れている」(大手証券アナリスト)。黙っていても売れるハイテンに胡坐をかいて、海外の顧客へは「輸出すればいい」などと甘く考えていたのかもしれない。だが、「新興国で日本製の鋼板が敬遠されることになれば話は別。新日鐵にとっても死活問題になる」(同)。
 確かに現時点においては総合的な技術力でなお世界のトップに位置する新日鐵だが、設備投資額では韓国のポスコや中国の宝鉄集団が上回って久しい。粗鋼生産量の比較では〇六年度にアルセロール・ミタルに抜かれた後も「地盤沈下」が止まらず、〇九年度はついに世界八位へと転落した。トップテンからの脱落も時間の問題かもしれない。いずれにせよ資源メジャーには「足元を見られ、鉄鉱石等の価格交渉でも丸呑み状態」(同)と、世界での存在感は薄まっている。
 そんな新日鐵に残った、品質という唯一の「売り」も、今回の自ら招いた失敗と驕りとで失おうとしている。「堕ちた盟主」新日鐵は今後の進路をどう切り開くのか。これまで自動車メーカー相手に続けた殿様商売に終止符を打たない限り、落日はさらに早まる。


掲載物の無断転載・複製を禁じます©選択出版