三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌会員だけが読める月間総合情報誌

連載

不運の名選手たち20

篠原信一(柔道)五輪決勝「誤審」への本音 
中村計

2011年8月号

 その言葉は、自分を守る唯一の盾だった。
「自分が弱かったから負けた」
 二〇〇〇年九月二十二日。シドニー五輪の百キロ超級決勝戦は、下馬評通りの顔合わせとなった。大会二連覇を目指すフランスのダビド・ドゥイエと、篠原信一。
 二人の力関係は、序盤の組み手に如実に表れた。
 柔道は原則として、互いに引き手とつり手を取った状態で組まなければならない。ところが篠原の投げ技を警戒したドゥイエは、左手で牽制し、篠原につり手を取らせなかった。明らかな反則行為だが、審判の見えないところでやるなど、なかなか巧妙だった。
 だが、さすがにそれだけでは試合時間の五分は持たない。一分三十九秒。ドゥイエがかけた内股に篠原が反応した。左足の内側にからんできたドゥイエの右足を、自らの左足を上方に跳ね上げながら外し、バランスを失ったドゥイエをそのまま投げた。篠原も足を外したときに体勢を崩していたため横倒しになったが、相手はきれいに背中から落ちていた。
 内股すかし─。そう呼ばれる返し技の一種で、篠原が得意としている技だった。
「自分では完璧だと思い・・・