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連載

追想 バテレンの世紀 連載69

大村キリシタン王国の崩壊
渡辺 京二

2011年12月号

 パシオが次に立ち寄った広島では、従来イエズス会に好意を示してきた国主福島正則に会うことができなかった。以前、正則が長崎貿易に投資しようとしたのに、パシオが協力を拒んだことがあったのが不快だというのだ。イエズス会への好意といっても、つまりは貿易次第だったのである。この点は実は家康・秀忠とても同様であるのをパシオは自覚していただろうか。


 小倉では城主細川忠興の大歓迎を受けた。ちょうど愛妻ガラシャの命日が来るところだったのだ。当日はパシオも参列して盛儀が営まれた。次の博多でも黒田長政から厚遇された。よきキリシタンだった官兵衛孝高は一六〇四年に死んでいたが、長政は父と変らぬ保護をパシオに約した。忠興も長政も明らかに、家康・秀忠がパシオを厚遇したことに感銘を受けていたのだ。

 ついで秋月を訪うたのは、領主黒田直之が同地方のキリシタンの柱石と呼ばれる人物だったからである。柳川でも領主田中吉政の歓迎を受けた。かくしてパシオの五カ月にわたる家康・秀忠訪問行、ならび・・・