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連載

本に遇う 連載159  

原田正純という医師
河谷史夫

2013年3月号

 ゴッホとアルル、ゴーギャンとタヒチ、坊っちゃんと松山、志賀直哉と城崎、田中正造と足尾というように、人の名と土地の名が切っても切れない人生がある。

 その伝で水俣と言えば、石牟礼道子に原田正純であろう。

 二〇一二年六月十一日、「水俣病研究の第一人者」の原田は七十七歳で命終した。新聞は「半世紀を超えて研究や被害者の診療にあたり、『胎盤は毒物を通さない』という当時の常識を覆し、母親の胎内で有機水銀に侵されて起こる胎児性水俣病を突き止めた」と称え、全国に広がった水俣病裁判で「一貫して被害者の立場に寄り添って証言を続けた」と書いた。

 有機水銀による空前の環境汚染に由来する中毒被害の惨状に接した医者は、「見てしまった責任」と言いながら現実と渡り合った。

 縁のあった人たちによって編まれた追悼集が暮れに出た。
 石牟礼道子が「人はいかに生きるかというお手本を、いつもニコニコして、なにげないお言葉でおっしゃっていて、ご自分の存在をもって教えていただいた」と誄を述べ、原田に詩を捧げている。
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