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連載

追想 バテレンの世紀 連載91

気の進まぬ迫害
渡辺 京二

2013年10月号


 大御所家康が一六一六年六月に死ぬと、将軍秀忠はその年の九月、改めてキリシタン禁制を諸大名に通達し、併せて西洋諸国との交易を長崎・平戸の二港に限った。翌一七年正月、大村純頼が秀忠に拝謁した際、秀忠は追放したはずの宣教師が多数潜伏していることをなじった。

 純頼は幼少時洗礼を受け、長年大村領の司牧に携わり高徳の聞え高かったルセナ司祭に愛育されたので、もとよりすでに棄教していたものの、潜伏宣教師の摘発に殊更な熱意は持たなかった。しかし、秀忠の勘気に触れぬためには、一応実績を示す必要がある。かといって、まじめにやり過ぎて、ぞろぞろ宣教師が出てくるというのも困る。何人か捕縛してお茶を濁したいというのが本音だった。

 純頼は家臣を長崎に派遣して宣教師を探索させた。このとき長崎を中心に潜伏していた宣教師はイエズス会だけで三四人いた。一六一四年一一月に追放されたあと、翌一五年にはユーロス、パシェコなどのちに日本管区長になる重要人物を含めて四名、一六年にはさらに四名のイエズス会士が再入国していたのだ。

 長崎では宣教師はよく・・・