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連載

追想 バテレンの世紀 連載97

厳しい迫害と北へ逃れた信者達
渡辺 京二

2014年4月号

 松倉領での迫害は、一六二七年から三一年にかけてが最も激しかった。種々の拷問が用いられ、なかでも雲仙岳での熱湯責めの惨虐さはよく知られている通りだ。ナバロの告別の辞に言うべき言葉もなく涙を流した重政が、一転して非情な迫害者となったのは、優に一篇の精神的ドラマたりうるが、その実相は文献の語るところではない。

 だが、雲仙での熱湯責めの愛用者は、一六二九年に水野のあとを継いで長崎奉行となった竹中妥女重義であった。彼は歴代の長崎奉行中最も残酷な迫害者だったといわれる。ただし、彼も含めて禁教令の実施者たちは、いたずらに惨虐を好んで宣教師や信者を拷問したのではない。キリシタンを手っ取り早く根絶したいのなら、宣教師であれ信者であれ、見つけ次第殺せばよいのだ。殺さずに棄教させようとしたからこそ拷問という手段に訴え、相手の頑強さに比例して、拷問の残酷さもエスカレートしたのである。役人たちは信者や宣教師を苦しませて楽しんだわけではない。何としてでも棄教させたかったのであって、ここに当時の「迫害」の特異性がある。

 殺さずに棄教させようとしたのは、住民の場合彼ら・・・