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連載

追想 バテレンの世紀 連載99

朱印船に抗する英蘭の行方
渡辺 京二

2014年6月号

 平戸を母港とする英蘭防御艦隊は一六二二年八月解散した。ライエルセンのマカオ攻撃など、バタビヤのオランダ東インド会社は、イギリスを置き去りにして単独行動に踏み切っており、同盟の実は失われていた。

 イギリス平戸商舘は防御艦隊の獲物で束の間賑わったものの、本体であるべき貿易活動は相変わらず不振を極めた。イギリスが日本貿易に定着するには、日本の海外需要の中心をなす生糸・絹織物を中国から入手するしかない。生糸・絹織物はインドシナからも入手でき、平戸商舘が同方面へ度々派船したのは前述した通りだが、結局日本の朱印船に対抗できなかった。商舘長コックスは平戸在住の中国人李旦に依頼して、中国へのルートを拓こうとした。しかし李旦は商人とはいうものの実態は海賊でもあり、コックスは彼に六千六百余テール(両)の無駄金を注ぎこむ結果に終わった。

 当時イギリス東インド会社の東南アジア方面の司令部は、英蘭同盟の結果、オランダの拠点ジャワ島のバタビヤ城内に置かれていたが、一六二三年五月、すでに一万ポンドの損失を計上していた平戸商舘の引き揚げを決議、コックスに通告した。実は・・・