三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌会員だけが読める月間総合情報誌

経済

あの三井記念病院が「債務超過」に

元財閥「結束力低下」の象徴

2018年1月号

 社会福祉法人「三井記念病院」(東京・千代田区)の歴史は一九〇六年(明治三十九年)に三井家総代の三井八郎右衛門が困窮する人々を救うために、私財を投じて設立した、無償の三井慈善病院をその源流とする。その後、三井財閥の病院として、百十余年の歴史を刻んできた。この名門病院が今、債務超過に陥り、三井グループの「お荷物」と化している。飛び交う隠語は「三井危険病院」。このままでは、病院の存続さえ厳しい。なぜ、日本を代表する民間病院は凋落してしまったのか。
 この病院は長年にわたり赤字を垂れ流し、二〇一七年三月期も十二億四千六百万円の最終損失(前期は十五億三千八百万円の赤字)を計上。これまでかろうじて資産超過を保ってきたバランスシートは期末でついに二億五千四百万円の債務超過へ転落した。累積損失は百四十二億四千四百万円にまで膨張。監査法人から経営の先行きに不確実性があるとして、決算書類に「継続企業の前提に関する疑義注記」を突きつけられる始末だ。

グループ各社の支援も焼け石に水

 そんな惨状にもかかわらず、債務超過を・・・