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連載

新大学評判記 第28話

今も続く「中央依存」の悪弊

2022年4月号

 長崎大学医学部は、日本最古の医学教育機関だ。起源は幕末の一八五七年にオランダ海軍の軍医ポンペが開設した、長崎奉行所西役所医学伝習所である。さらに世界で唯一、核兵器の被害にあった医科大学として、治療、研究などでも大きな実績がある。一方で厚生労働省との蜜月ぶりは際立つ。今、日本のコロナ対策を巡っても、その一端が垣間見えている。
 まずは、その歴史を辿ってみる。医学伝習所は、一八六一年には幕府が開設した医療施設の養生所の場所に移転し、医学所と名を改める。明治維新後、医学所に集った若き医師たちが日本の医学をリードする。松本良順は初代陸軍軍医総監、佐藤尚中は大学東校(現東京大学医学部)の初代校長に就任する。京都大学の前身である舎密局は、一八六九(明治二)年に医学所の後継機関である長崎精得館の理化学部門が移転したものだ。
 明治時代に、精得館は第五高等中学校医学部、長崎医学専門学校などを経て、一九二三(大正一二)年には旧制六官立医科大学の一つとして大学へと昇格する。そして四九年、経済専門学校や師範学校などと合併し、現在の長崎大学となる。
 その名を世界的に有名にした・・・