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政治

公明党が貪り喰う 「国土交通利権」

「自民党化」する穢れた宗教政党

2023年11月号公開

 東京の自民党関係者にとって「一〇・一五」は悪夢の日となった。
 十月十五日、東京都立川市で都議選補欠選挙の投開票が行われた。補選には自民党、立憲民主党、都民ファーストの会が公認する計三人が立候補し、二議席を争った。下馬評では、都知事・小池百合子の支援を受けた都民ファ候補が追い上げてはいたが、立民の候補者は、前回都議選で町田選挙区から立候補して五位で落ちており、地元市議出身の自民候補が「負けるわけがない」(関係者)はずだった。
 しかし、自民候補は立民にも競り負け、落選した。公明・創価学会がまったく動かなかったからだ。動かなかったどころか、小池に恩を売るため都民ファを密かに支援していたのだ。
 自公両党は、衆院東京二十八区に公明が新人を立候補させようとして軋轢が生じ、一時は衆院選での選挙協力を東京では取りやめると公明が通告したほど。最終的には、岸田文雄と山口那津男のトップ会談で手打ちがなされたが、現場では冷戦状態が続いていることが浮き彫りになったのである。同時に自民は公明・創価学会の協力抜きでは、選挙を戦えないほど組織が脆弱化してしまった事実を満天下に示してしまった。

「政経懇話会」という利権装置

 しかもかつては、自民党の金城湯池だった「聖域」に公明党は、深く侵食している。
 衆参の国政選挙が近づくと、公明党は報道陣をシャットアウトして非公開で「政経懇話会」と称する会合を開く。
 国会議員が活動費を集めるために開く政治資金パーティーや各界の名士を集めて新春を寿ぐ新年互礼会とも異なり、党幹部の日程にも「挨拶回り」と記されているだけで、時間も場所も伏せられている。
 都内で開く場合、会場は自民党の国会議員が頻繁に利用するホテルニューオータニやホテルオークラ、帝国ホテルの御三家ではないホテルが選ばれる。だから滅多に表に出てこない。実際に目撃した六年前の会合はこのようなものだった。
 会合が開かれるホテルに出向くと、エントランスに表示される「会合予定表」には何も書かれていない。開会予定の十五分ほど前になると、にわかにホテルの車寄せには、黒塗りの高級車が続々と到着し、車から降り立った高級スーツ姿の男たちが、いつの間に集まったのか案内役の議員秘書や党職員に先導されて会場に進んでいく。
「本日はお越しいただきありがとうございます」「お忙しいところをお運び、本当にありがとうございます」
 看板もない会場のすぐ内側で、深々と頭を下げていたのは当時国土交通大臣だった石井啓一。隣には前代表の太田昭宏、現副代表の北側一雄ら歴代国交相が並び、列をなす男たちに笑顔で言葉を交わしていた。男たちは、ゼネコンをはじめとする建設会社や鉄道・バス・タクシーといった交通業界の経営者や団体幹部だ。
「政経懇話会は、党幹部が最新の政治経済や国際情勢などを話す国政報告会のようなもの」と公明関係者は話すが、実態は違う。来客のお目当ては、講演ではなく、現役国交相を含む歴代国交相らと名刺を交換し、陳情もできる「フリータイム」だ。フリータイムになると、手練れの秘書たちが知己の会社社長らを議員に引き合わせていく。
 懇話会は地方でも開催される。今年六月七日。党幹事長の石井は、次期衆院選で埼玉十四区から出馬するお披露目もかね、十四区の要である埼玉県三郷市で懇話会を開いた。会合では、一時間ごとに建設・運輸、観光など三グループに分かれ、別室で国交相の斉藤鉄夫が、業者から要望を聴く機会も設けられた。この日は来賓として前首相・菅義偉も挨拶し、菅と昵懇で公明党の選挙を事実上、取り仕切っている創価学会副会長・佐藤浩も別室でにらみを利かせた。
 建設・土木業界は、往時のような集票力には及ばないものの、下請け、孫請けと裾野の広いゼネコンは、いまだ選挙で手堅く票をまとめられる選挙マシンの一つだ。
 土木建設や住宅、道路・交通を所管する国交省は、大規模な公共事業はもとより、さまざまな許認可権限を握っている。建設業界は、同省に生殺与奪を握られているも同様。それだけに「国交相と名刺交換できる」ことを売り物に業者を集める「政経懇話会」には、スタート当初から公明党内にすら「権限をちらつかせているようなもの。禁じ手だし、やりすぎじゃないか」の声が上がっていた。会合が非公表なのも後ろめたいからだ。
 公明党が国交相ポストを初めて得たのは、十九年前の小泉純一郎政権。建設業界に抜群に強かった田中派の流れをくむ平成研究会の力を削ぐためといわれている。当時、業界関係者は「自民党のように大口献金をしろと言ってこず、族議員が横車を押しづらくなった。公明党の大臣はやりやすい」と歓迎していた。

国交相ポスト独占を「死守」

 しかし、第二次安倍晋三内閣で太田が起用されて以来、四代十一年間にわたって国交相ポストを独占し続けたことで公明党の「自民党化」が進んだのである。
 懇話会に出席したある住宅建設業者は、「市議選や区議選のような選挙まで年に何回も支援要請がくる」とこぼし、「沖縄の知事選や市長選でも名簿を出すだけでなく、電話掛けのノルマも課せられ、結果を報告しろと言われた」と証言する。
 自民も公明の国交省支配に手をこまねいていられなくなり、「比例で公明支援に回るな。名簿を出すな」と業界を締め付けた時期もあったが、効果は薄かった。
 この十一年の間に、建設業界に影響力を持つ自民議員は、二階俊博らごくわずかに激減してしまったからだ。今では自民党議員が国交相に陳情を申し込むと、「公明党議員に陪席させるのが常態化している」(自民党秘書)といい、完全に主客逆転した。
 九月の内閣改造でも公明は国交相ポストを死守した。改造の二カ月前、代表の山口は、「国交相は非常に国民生活に密着した経済にも大きな影響を持つ重要な役割だ。(公明)党にとってこれからも重要」と記者会見で述べ、公然と現状維持を要求した。
 自民党副総裁の麻生太郎らは「党首会談前に記者会見の場でポストを要求するなぞ前代未聞。国交相ポストは取り返すべきだ」と強く反発したが、後の祭り。
 建設・交通業界を掌握し、「自民化」した公明・創価学会抜きに選挙を戦えなくなった岸田に「ノー」の選択肢はなかった。「庇を貸して母屋を取られた」自民党の嘆きは深い。(敬称略)


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