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連載

むかし女ありけり 連載113

白梅
福本 邦雄

2010年1月号

しら梅の衣にかをると見しまでよ君とは云はじ春の夜の夢 茅野雅子

 与謝野鉄幹が主宰する新詩社が『明星』誌上において女流を大いに育てる母体となっていたことは、与謝野晶子、山川登美子らの例を待つまでもない。この二人と玉野花子、石上露子とならんで『明星』の五人女傑の一人と呼ばれたのが茅野(旧姓増田)雅子であった。
 新詩社ではおそらく鉄幹の好みであろうかと思われるが、晶子の「白萩」、登美子の「白百合」をはじめ、玉野花子「白薔薇」、石上露子「白菊」など、女流歌人に花の名の、しかも「白」の名称を付し、互いに用い呼び合うようにしていた。
 雅子は「白梅」の名を与えられ、明治三十三年の入社以来、積極的に歌を投稿しては、『明星』誌上重要な存在を示すようになっていった。
 あまりにも力強い、のちの晶子の活躍ぶりの前に、現在では若干地味な存在となってしまったが、雅子は当初まさに『明星』の女流推進気運の最右翼にいた。明治三十八年、晶子・登美子・雅子の三人合同歌集として『恋ごろも』が出版されたが、これは鉄幹が女流を守り立てる戦略の中でこの三人を最有力とみなし・・・