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連載

むかし女ありけり 連載114

上京
福本 邦雄

2010年2月号

二十とせは亡き母しのぶ夢にのみ光ほのかにさすと覚えし 茅野雅子


 明治三十三(一九〇〇)年発行の『明星』第八号に初めて歌を出してから、第十四号までの一年足らずの間、雅子は毎号連続して精力的に投稿している。その数およそ四十八首。それらは質量ともに充実し、雅子は晶子、登美子らと並び、新詩社内においてすでに確固たる地位を築いていた。この頃の雅子は、家庭における継母との溝が原因で、本来の快活でお茶目な性質を押さえつけられ、次第に陰鬱で感傷的になってきていた。そんな心理状態が、いっそう文学への情熱を掻き立て、それが急激に高じ、もはや病的なまでに煮詰まっていたようだ。

ねいき細きこの我
      のどに征矢ひきて
  夢路かへさぬ神もいまさば

 閉塞感から逃れるように、雅子は自ら家を離れ、半年ほど京都の岩村通俊男爵邸に行儀見習いとして身をおくこととなった。

拍つ手ここに御池の緋鯉
        馴れつるよ
 一人を京の春の子老いな

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