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連載

不運の名選手たち 連載6

高橋繁浩(競泳選手)金メダル候補が陥った「泳法違反」
中村 計

2010年6月号

 山の頂点までは、一息だった。
「理由なんてわからない。勝っちゃったんだもん、って感じでした」
 小学生のときは授業で泳いだだけ。中学では水泳部に所属していたものの、そのクラブは冬は缶蹴りをしているような牧歌的な運動部だった。そんな高橋繁浩が、中学三年の春、いきなり平泳ぎ百メートルで中学記録を出した。
 現在、中京大学体育学部の教授で、水泳部の監督も務める高橋は、真っ黒に日焼けした顔をときおりほころばせながら昔を思い出す。
「中学までは天然素材みたいなもの。中学時代、身長が一気に三十センチ近く伸びて百八十センチぐらいになったのですが、それも大きかったのかもしれませんね」
 中学卒業後は、滋賀から、水泳の強豪校だった広島の尾道高校に「越境入学」。そこで生まれて初めて本格的な練習を始めると、登頂ペースはさらに加速する。
 一年生で百と二百メートルの高校記録を破り、二年生になると両種目の日本記録を塗り替えた。そして同年、一九七八年の夏に米サンタクララで開かれた国際大会の二百メートルで、その年の世界最高となる二分十七秒八一を叩き出す。・・・