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連載

追想 バテレンの世紀 連載52

寺社仏閣の破壊
渡辺 京二

2010年7月号

 一五八四・五年には秀吉麾下の武将の入信が続いた。これは主として高山右近の働らきであったらしい。右近について宣教師の伝えるところは、むろん割り引いて受けとらねばならぬが、文武両面における名声は事実であったようだ。彼は利休七哲の一人であり、武勲も卓越したものがあった。秀吉にもすこぶる気に入られていた。
 入信以来、右近は身を持すること固く、人格品行の面でも、同輩の武将たちの尊敬をかちえていたようだ。また、宣教師たちの認めるように、教理にくわしく、かつそれを説くのが巧みだった。つまり、一流の説教師だったのである。根来攻めの際、彼は焼却されるべき運命にある美しい寺院を、司祭たちに給わるよう、秀吉に乞うた。秀吉は「汝も司祭だから、汝にやろう」と答えたといわれる。
 右近に説かれてまず入信したのは、馬廻衆組頭の牧村政治である。近江で二万五千俵を給され、利休の高弟でもあった。一五八四年のことで、続いておなじく馬廻衆の毛利高政が入信した。
 翌八五年になると、右近と牧村に説かれて、利休七哲の一人蒲生氏郷が入信。信長の三女を夫人とする大物である。近江日野を領していたが、伊・・・