トヨタ章男の「副社長」たち「大番頭」候補見当たらず
トヨタ自動車の二〇〇九年度第1四半期(四?六月)連結決算では、収益源だった北米市場販売台数は前年同期比四七%もマイナスの三十八万七千台。ホンダは三〇%減の三十二万三千台、日産は三一・六%減の二十二万五千台だっただけにトヨタの落ち込み幅は断トツだ。成長市場の中国でも〇九年一?六月までの販売台数は「日産が四一%増、ホンダが一二%増となる半面、トヨタの現地合弁を合わせた販売は一四%減少した」(八月五日付、日本経済新聞)。
いつ回復するかも見えない。豊田章男新社長は就任記者会見で「嵐の中の船出。トヨタ丸は海図なき航海に出た」と語った。
「人材難」という嵐もトヨタ丸を襲う。トヨタにとって創業家は求心力。世界に約三十万人いる従業員を束ねる統治の象徴である。豊田家の存在は、「旗本八万騎」を束ねた徳川将軍家と等しい。将軍の下には実力派の老中がいて政務を取り仕切った。
今のトヨタには、巨大企業の難局を乗り切る、手練れの「老中」が不在だ。トヨタにおいて「老中」とは、副社長のことだ。「番頭」的な存在でもあり、実務を取り仕切ってきた。副社長会が事実上の最高意思決定機関であり、取締役会はそこでの判断を追認する形式的なものでしかない。
かつてのトヨタの副社長は、技術、生産、販売、調達、経理・財務などの部門を代表する「親分」であると同時にその道のプロでもあったが、豊田章男体制の副社長は何ともお寒い布陣だ。端的に言ってしまえば、「アマチュア集団」である。経営の基本である「ヒト・モノ・カネ」のうち、「ヒト(人事労務)」と「カネ(経理・財務)」の管理のプロが不在だ。社内官僚として「キャリアパス」は積んでいるが、専門性は薄い。
特に「金庫番」がいない
新体制の五人の副社長は次のようなメンバーだ。内山田竹志氏(技術等担当、名古屋大工学部卒)一人が渡辺捷昭社長時代から残留した。内山田氏は初代「プリウス」のチーフエンジニアとして知られ、トヨタの技術の「顔」的存在。温厚で人格者だが、ぐいぐい引っ張っていくリーダーではないという。
部品メーカーなどから評価が高いのが新美篤志氏(生産等担当、名古屋大工学部卒)。「数少ない野武士。紳士的だが自分の意見をずばりと言う。生産面でのトヨタの課題を自分の頭でしっかり把握している」との評判だ。経歴も生産管理が長く、米国の現地生産法人の社長も務めた。生産のプロと言える。
残り三人は評価が定まっていない面もある。布野幸利氏(渉外広報・営業企画等担当、神戸大経営学部卒)は米国駐在が長く、「マーケティング屋」と評されるが、「官僚的で線が細い」(元副社長)。門外漢の渉外広報を任された。欧州の生産法人社長などを歴任してきた佐々木眞一氏(調達・総合企画等担当、北海道大工学部卒)について、ある部品メーカーの役員は「部下思いとの評価がある一方で、存在感が薄い」と語る。
そして、トヨタ社内でも「最も官僚的」と指摘されているのが一丸陽一郎氏(人事・経理等担当、東大経済学部卒)だ。一丸氏は経理や人事のプロではない。国内営業一筋で部長時代にキャリアパスで人材開発部長を務めたことがあるが、労組と交渉する労務の経験はない。
この五人の中に経理と人事労務のプロが全くいない。渡辺時代にも経理のプロが不在だったため、人事労務畑の木下光男副社長(現トヨタ車体会長)に経理を任せていた。連結で三十万人の従業員がいて、売上高も二〇兆円近い大企業が果たしてこうした体制で大丈夫なのか。かつての経理・財務担当のトヨタの副社長は錚々たる顔ぶれがいた。豊田英二社長(現最高顧問)時代には、金庫番として花井正八氏がいた。九〇年代前半の急激な円高を乗り切り、赤字転落を回避した原価低減策は副社長の苗字の頭文字を取って「Iプロジェクト」と呼ばれた。岩崎正視氏のことだ。岩崎氏は病に倒れた豊田達郎氏(現相談役)に代わって日本自動車工業会会長も務めた。日本経団連会長だった奥田碩氏(現相談役)も経理畑だった。
人材枯渇が明々白々
トヨタ本体は今春、工販合併以降初めて三千億円を銀行から借り入れた。売り上げが落ちてキャッシュが減少する中で手元流動性を高める狙いだった。経理部に統合していた財務部を今年一月に復活させ、為替と資金の対応策も強化した。
また、子会社のトヨタファイナンシャルサービスは、市場からのドルの調達が不調なことを受け、海外での自動車ローン資金などを国際協力銀行からドル建てで融資を受けた。「トヨタ銀行」と呼ばれた、優良な財務体質を持つ企業にも変化が見られ始め、財務戦略が重要な局面にあるが、司るトップがいない。「かつての円高時には、副社長自らが財務に電話して為替予約の指示をしていた」(トヨタ幹部)というが、一丸氏には到底無理であろう。
話は少しそれるが、松下電器産業(現パナソニック)にはかつて「経理社員」と呼ばれる制度があり、経理の社員は別格に扱われた。その理由は、本社から事業部に「付家老」として出向き、事業部の暴走を食い止める狙いもあったからだ。松下電器も二〇〇〇年代の初頭、中村邦夫社長時代に創業以来初の赤字に陥ったが、副社長陣の中に経理のプロが不在だった時期がある。トヨタも同様に経理部が強く、経理担当の副社長は「金庫番」であり、あらゆる事業の監視役だったが、その機能は薄れているようだ。米国に積極投資した結果、生産能力が相当に過剰な状態になっているが、投資に対する経理のチェック機能の低下も一因ではないだろうか。
トヨタの副社長の中には、「豊田さんだったらどう考えるかなあ」と言うのが口癖になっている人もいるという。豊田章男社長に迎合しようとしているのだ。本来ならば、専門的な知見をベースに若い新社長に対し苦言を呈することが求められているはずなのに、その機能を果たしていない。
かつての副社長は仲が悪かった。花井正八氏と大野耐一氏(生産)との関係に代表されるように、侃々諤々と意見を戦わせ、互いの部門の主張を押し通そうとした。それが徹底した議論に結び付き、話がまとまらない時に社長が最終的な判断を下した。それが全体最適につながったが、「今の副社長は仲良しクラブで、誰もお互いを面と向かって批判し合うことを避ける」(トヨタ役員OB)。
「副社長会での議論も本質的ではなく、些末なことが取り上げられている。トヨタに批判的なことを書く記者三人に対してどう対応するかが議論されていたが、広報課長レベルが考える水準の仕事だ」と、トヨタ社内にも副社長陣の体たらくに苛立つ声がある(トヨタ広報部は批判的な記事を書く記者への対応を検討した事実はないと否定)。大きな視野に立ち、舵取りしようという気骨に欠けている。
四月二十日にはこんなこともあった。社長に就任する前の豊田氏と現役労組幹部や幹部OBとが意見交換する懇親会が開かれた。実は、この懇親会を企画したのは、現役副社長ではなく、秘書や渉外の経験が長い元副社長だった。こうしたことまでOBに頼らざるを得ない状況なのだ。新体制での副社長以外の役員人事を見ても、肝心の米国事業は稲葉良?=氏(元副社長)を中部国際空港社長から呼び戻して取締役に再就任させて任せた。トヨタで人材が枯渇し始めていることを象徴している。
豊田新社長の憧れの歴史上の人物は水戸黄門。「我が身を隠して『現地現物』で民の声を聞き、勧善懲悪している姿に憧れている」と語る。しかし、今の豊田氏は「助さん」と「格さん」のいない「御老公」ではないか。ふがいない副社長陣では自分の手で「印籠」を出さざるを得ないだろう。
役員陣には「官僚主義」と「無責任」が蔓延している。〇九年二月に公正取引委員会から受けた排除命令はそれを象徴している。トヨタが広告で住宅ローンの手数料がゼロと謳っておきながら手数料を取ったことに対する処分だった。「トヨタホームがローンを担当したトヨタファイナンスに責任を押し付けようとしたが、結局、公取はトヨタホームに処分を下した。トヨタホームを担当するトヨタの専務が責任を取りたくなかっただけ」との指摘もある。
東大出が多くなった
「トヨタでは高学歴の人が増えて、資料を作るのはうまいが、汗をかいて動く人が減った。失敗を他人のせいにする人も増えた」(関連会社役員)。確かに華麗な経歴の役員が増えた。六月二十三日付で常務役員に昇格した日本人十六人中、六人が東大、五人が京大。奥田碩氏は社長時代、冗談半分で「新日鐵や東京電力を見てみろ、役員は東大と慶應だらけだろう。東大と慶應の役員が増えたら会社の成長は止まる」と語っていた。トヨタが「エリート集団化」していることは確実である。かつて日産自動車には東大卒の役員が多く、九九年に会社が倒産寸前に陥っても「評論家」にとどまっている人もいたが、トヨタの役員陣は評論家集団になってはいないか。
トヨタの社風は「地べたを這いながら歯を食いしばって大きな努力をしても、小さな成果で甘んじてもよしとするところにあった」(トヨタOB)。しかし、ここ四、五年のトヨタは、役員陣は大きな成果ばかりを求めていたようにも映る。しかも、好調な米国経済、市場拡大するBRICsなど常に追い風が吹き、目先の処理をするだけで二兆円の利益が出た。
この間、ビッグスリーの衰退に象徴されるように強いライバルも不在で、世界最強企業と賞賛を浴びるばかりだった。戦後の倒産の危機などトヨタの歴史は苦難の連続だった。「工販合併」以降でも、貿易摩擦を背景にした国際化(脱三河)、急激な円高の克服、バブル崩壊後から続く国内販売の不振、脱石油を視野に入れた環境技術の確立など重い課題の連続だった。確固たる哲学がなければ対処できない課題が多かった。
しかし、今、トヨタは大きな方向性を見失っているようにも見える。頂点を極めたがゆえに、「坂の上の雲」がなくなった。二期連続赤字からの脱却は「対症療法」でしかない。「次のトヨタ像」が見えない故に迷走も続くが、それを描く人材がいないのも事実である。
いつ回復するかも見えない。豊田章男新社長は就任記者会見で「嵐の中の船出。トヨタ丸は海図なき航海に出た」と語った。
「人材難」という嵐もトヨタ丸を襲う。トヨタにとって創業家は求心力。世界に約三十万人いる従業員を束ねる統治の象徴である。豊田家の存在は、「旗本八万騎」を束ねた徳川将軍家と等しい。将軍の下には実力派の老中がいて政務を取り仕切った。
今のトヨタには、巨大企業の難局を乗り切る、手練れの「老中」が不在だ。トヨタにおいて「老中」とは、副社長のことだ。「番頭」的な存在でもあり、実務を取り仕切ってきた。副社長会が事実上の最高意思決定機関であり、取締役会はそこでの判断を追認する形式的なものでしかない。
かつてのトヨタの副社長は、技術、生産、販売、調達、経理・財務などの部門を代表する「親分」であると同時にその道のプロでもあったが、豊田章男体制の副社長は何ともお寒い布陣だ。端的に言ってしまえば、「アマチュア集団」である。経営の基本である「ヒト・モノ・カネ」のうち、「ヒト(人事労務)」と「カネ(経理・財務)」の管理のプロが不在だ。社内官僚として「キャリアパス」は積んでいるが、専門性は薄い。
特に「金庫番」がいない
新体制の五人の副社長は次のようなメンバーだ。内山田竹志氏(技術等担当、名古屋大工学部卒)一人が渡辺捷昭社長時代から残留した。内山田氏は初代「プリウス」のチーフエンジニアとして知られ、トヨタの技術の「顔」的存在。温厚で人格者だが、ぐいぐい引っ張っていくリーダーではないという。
部品メーカーなどから評価が高いのが新美篤志氏(生産等担当、名古屋大工学部卒)。「数少ない野武士。紳士的だが自分の意見をずばりと言う。生産面でのトヨタの課題を自分の頭でしっかり把握している」との評判だ。経歴も生産管理が長く、米国の現地生産法人の社長も務めた。生産のプロと言える。
残り三人は評価が定まっていない面もある。布野幸利氏(渉外広報・営業企画等担当、神戸大経営学部卒)は米国駐在が長く、「マーケティング屋」と評されるが、「官僚的で線が細い」(元副社長)。門外漢の渉外広報を任された。欧州の生産法人社長などを歴任してきた佐々木眞一氏(調達・総合企画等担当、北海道大工学部卒)について、ある部品メーカーの役員は「部下思いとの評価がある一方で、存在感が薄い」と語る。
そして、トヨタ社内でも「最も官僚的」と指摘されているのが一丸陽一郎氏(人事・経理等担当、東大経済学部卒)だ。一丸氏は経理や人事のプロではない。国内営業一筋で部長時代にキャリアパスで人材開発部長を務めたことがあるが、労組と交渉する労務の経験はない。
この五人の中に経理と人事労務のプロが全くいない。渡辺時代にも経理のプロが不在だったため、人事労務畑の木下光男副社長(現トヨタ車体会長)に経理を任せていた。連結で三十万人の従業員がいて、売上高も二〇兆円近い大企業が果たしてこうした体制で大丈夫なのか。かつての経理・財務担当のトヨタの副社長は錚々たる顔ぶれがいた。豊田英二社長(現最高顧問)時代には、金庫番として花井正八氏がいた。九〇年代前半の急激な円高を乗り切り、赤字転落を回避した原価低減策は副社長の苗字の頭文字を取って「Iプロジェクト」と呼ばれた。岩崎正視氏のことだ。岩崎氏は病に倒れた豊田達郎氏(現相談役)に代わって日本自動車工業会会長も務めた。日本経団連会長だった奥田碩氏(現相談役)も経理畑だった。
人材枯渇が明々白々
トヨタ本体は今春、工販合併以降初めて三千億円を銀行から借り入れた。売り上げが落ちてキャッシュが減少する中で手元流動性を高める狙いだった。経理部に統合していた財務部を今年一月に復活させ、為替と資金の対応策も強化した。
また、子会社のトヨタファイナンシャルサービスは、市場からのドルの調達が不調なことを受け、海外での自動車ローン資金などを国際協力銀行からドル建てで融資を受けた。「トヨタ銀行」と呼ばれた、優良な財務体質を持つ企業にも変化が見られ始め、財務戦略が重要な局面にあるが、司るトップがいない。「かつての円高時には、副社長自らが財務に電話して為替予約の指示をしていた」(トヨタ幹部)というが、一丸氏には到底無理であろう。
話は少しそれるが、松下電器産業(現パナソニック)にはかつて「経理社員」と呼ばれる制度があり、経理の社員は別格に扱われた。その理由は、本社から事業部に「付家老」として出向き、事業部の暴走を食い止める狙いもあったからだ。松下電器も二〇〇〇年代の初頭、中村邦夫社長時代に創業以来初の赤字に陥ったが、副社長陣の中に経理のプロが不在だった時期がある。トヨタも同様に経理部が強く、経理担当の副社長は「金庫番」であり、あらゆる事業の監視役だったが、その機能は薄れているようだ。米国に積極投資した結果、生産能力が相当に過剰な状態になっているが、投資に対する経理のチェック機能の低下も一因ではないだろうか。
トヨタの副社長の中には、「豊田さんだったらどう考えるかなあ」と言うのが口癖になっている人もいるという。豊田章男社長に迎合しようとしているのだ。本来ならば、専門的な知見をベースに若い新社長に対し苦言を呈することが求められているはずなのに、その機能を果たしていない。
かつての副社長は仲が悪かった。花井正八氏と大野耐一氏(生産)との関係に代表されるように、侃々諤々と意見を戦わせ、互いの部門の主張を押し通そうとした。それが徹底した議論に結び付き、話がまとまらない時に社長が最終的な判断を下した。それが全体最適につながったが、「今の副社長は仲良しクラブで、誰もお互いを面と向かって批判し合うことを避ける」(トヨタ役員OB)。
「副社長会での議論も本質的ではなく、些末なことが取り上げられている。トヨタに批判的なことを書く記者三人に対してどう対応するかが議論されていたが、広報課長レベルが考える水準の仕事だ」と、トヨタ社内にも副社長陣の体たらくに苛立つ声がある(トヨタ広報部は批判的な記事を書く記者への対応を検討した事実はないと否定)。大きな視野に立ち、舵取りしようという気骨に欠けている。
四月二十日にはこんなこともあった。社長に就任する前の豊田氏と現役労組幹部や幹部OBとが意見交換する懇親会が開かれた。実は、この懇親会を企画したのは、現役副社長ではなく、秘書や渉外の経験が長い元副社長だった。こうしたことまでOBに頼らざるを得ない状況なのだ。新体制での副社長以外の役員人事を見ても、肝心の米国事業は稲葉良?=氏(元副社長)を中部国際空港社長から呼び戻して取締役に再就任させて任せた。トヨタで人材が枯渇し始めていることを象徴している。
豊田新社長の憧れの歴史上の人物は水戸黄門。「我が身を隠して『現地現物』で民の声を聞き、勧善懲悪している姿に憧れている」と語る。しかし、今の豊田氏は「助さん」と「格さん」のいない「御老公」ではないか。ふがいない副社長陣では自分の手で「印籠」を出さざるを得ないだろう。
役員陣には「官僚主義」と「無責任」が蔓延している。〇九年二月に公正取引委員会から受けた排除命令はそれを象徴している。トヨタが広告で住宅ローンの手数料がゼロと謳っておきながら手数料を取ったことに対する処分だった。「トヨタホームがローンを担当したトヨタファイナンスに責任を押し付けようとしたが、結局、公取はトヨタホームに処分を下した。トヨタホームを担当するトヨタの専務が責任を取りたくなかっただけ」との指摘もある。
東大出が多くなった
「トヨタでは高学歴の人が増えて、資料を作るのはうまいが、汗をかいて動く人が減った。失敗を他人のせいにする人も増えた」(関連会社役員)。確かに華麗な経歴の役員が増えた。六月二十三日付で常務役員に昇格した日本人十六人中、六人が東大、五人が京大。奥田碩氏は社長時代、冗談半分で「新日鐵や東京電力を見てみろ、役員は東大と慶應だらけだろう。東大と慶應の役員が増えたら会社の成長は止まる」と語っていた。トヨタが「エリート集団化」していることは確実である。かつて日産自動車には東大卒の役員が多く、九九年に会社が倒産寸前に陥っても「評論家」にとどまっている人もいたが、トヨタの役員陣は評論家集団になってはいないか。
トヨタの社風は「地べたを這いながら歯を食いしばって大きな努力をしても、小さな成果で甘んじてもよしとするところにあった」(トヨタOB)。しかし、ここ四、五年のトヨタは、役員陣は大きな成果ばかりを求めていたようにも映る。しかも、好調な米国経済、市場拡大するBRICsなど常に追い風が吹き、目先の処理をするだけで二兆円の利益が出た。
この間、ビッグスリーの衰退に象徴されるように強いライバルも不在で、世界最強企業と賞賛を浴びるばかりだった。戦後の倒産の危機などトヨタの歴史は苦難の連続だった。「工販合併」以降でも、貿易摩擦を背景にした国際化(脱三河)、急激な円高の克服、バブル崩壊後から続く国内販売の不振、脱石油を視野に入れた環境技術の確立など重い課題の連続だった。確固たる哲学がなければ対処できない課題が多かった。
しかし、今、トヨタは大きな方向性を見失っているようにも見える。頂点を極めたがゆえに、「坂の上の雲」がなくなった。二期連続赤字からの脱却は「対症療法」でしかない。「次のトヨタ像」が見えない故に迷走も続くが、それを描く人材がいないのも事実である。
















