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連載

本に遇う 連載157

専門家たちの裏切り
河谷史夫  

2013年1月号

 浜の真砂は尽きるとも、世に専門家の種は尽きない。何か起きると専門家が出て来る。尖閣で軋轢が生じれば日中専門家が、北朝鮮がロケットを打ち上げればミサイル防衛専門家が、高速道のトンネルの天井が落ちれば、天井の専門家が、といった具合だ。
 テレビで専門家を見るたびに、大農家の刀自として七十六歳まで生きた家内の母を思い出す。故郷の庄内からほとんど出ることのない生涯だったが、時代と世界への関心が旺盛で、新聞をつぶさに読み、テレビニュースへの注意を怠らなかった。ある日、柔らかな口調の庄内弁でつぶやいたものだ。

「ほんとに、何があっても、日本には専門家がいるんだのう」
 専門家なるものを揶揄したのかと思ったら、そうではなかった。母は真剣に専門家の一言一句に耳を傾け、出来事の原因と成り行きを理解しようとしているのだった。

 専門家という存在に敬意の念を払うことにやぶさかでなかった人を、もう一人知っている。

 中江丑吉のことだ。中江についてはこの欄で触れたことがある。兆民の倅で、大正から昭和戦前にかけて遠く北京に独居・・・