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連載

追想 バテレンの世紀 連載107

続々と立ち返るキリシタン達
渡辺 京二

2015年2月号

 廻状の署名者佐志木作右衛門については諸説あるものの、北有馬村浦河内の富農というのが、状況からして正しいようだ。彼は傷んだキリストの画像を隠匿していたが、それが一夜にして表装も新しくなったという奇蹟譚を吹聴し、村人が集まって崇敬するに至った。キリシタン立ち返りの起点は、三吉・角内だけではなかったのだ。

 各書に記されているこの奇蹟譚について、『高来郡一揆之記』なる筆者不明の記録は、実は作右衛門自身が新たに表装し直しておいて、まるでおのずから新たになったかのように驚いてみせたのだという。代官林兵左衛門が殺害されたのも、作右衛門宅へ赴いてこの画像をひき破ったからだと、いくつかの記録に述べられている。

 だとすると、林代官殺害の直後出された各村庄屋宛の触れ状に、差出人として作右衛門の名が書かれている理由が納得できる。島原藩士安藤半助によると、この触れ状は西は口之津・加津佐・南串山・小浜・千々岩、北は有家・布津・深江・安徳・中木場に届けられた。半助の手記は原城落城の直後に書かれ、信憑性が高い。

 起点が有馬村だったのは確かだとし・・・