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経済

名門ニコンのはかなき「余命」

三菱グループ製造業でまた「落伍者」

2017年4月号公開

 過去十年、緩やかな業績悪化が続いてきたニコンがいよいよ坂道を転げ落ち始めた。低価格デジカメはスマホ普及で市場が消滅、稼ぎ頭の一眼レフは中国人の爆買い収束で尻すぼみ、期待の半導体露光装置も研究開発に出遅れ、脱落。中国の液晶向け設備投資バブルでかろうじて食いつなぐのみ。蓄積した内部留保を有効な投資に回さず、ブランドに胡座をかき続けた結果だ。慌てて募集した希望退職は会社想定を上回る応募で、社員が見限る会社になったことを裏付けた。三菱自動車に続き三菱グループからまた一社、メーカーが離脱しかねない状況だ。
 二月十三日、ニコンは一千人程度を見込んでいた希望退職に一千百四十三人が応募し、退職関連費用として百六十七億円を特別損失として計上すると発表した。このリストラを推進したのは岡昌志副社長兼CFO。三菱東京UFJ銀行で専務執行役員まで務め、ニコン入りした。銀行時代は旧三菱銀行が買収した米ユニオン・バンク・オブ・カリフォルニアに二度の駐在勤務。最後はユニオン・バンクの頭取兼CEOを務めた。
 過剰人員で収益率の低かったユニオン・バンクで人員整理に辣腕を振るい、立て直したタフなコストカッター。ニコン入りしたのは昨年五月だが、たちまち本体の二〇%の人員を整理した。人種のるつぼで権利意識の強いアメリカ人をリストラすることから考えれば、名門企業の柔な社員のリストラは赤子の手をひねるようなものだっただろう。

キヤノンの衰退ぶりに「安心」

 ニコンは時を合わせて世間をもうひとつ驚かせた。昨年六月に発売予定だったものの技術的なトラブルで延期を余儀なくされていた高級一眼レフ「DLシリーズ」の発売を白紙撤回する、と発表したのだ。世界の一眼レフ市場で圧倒的なブランド力を持つメーカーとしては、異常かつ顧客の期待を裏切る無責任な経営判断。ニコンの経営危機を世界に広く知らしめる結果になった。
 ニコンの業績推移を見ると、日本の名門製造業が陥りがちな典型的な病理が見て取れる。二〇一六年三月期決算と十年前の〇七年三月期決算を比べると、売上高は八千二百二十九億円と八千二百二十八億円。億の下一桁が違うのみで、十年の間にまったく成長がなかったことを示している。売り上げはなんとか維持できても営業利益は十年間に三分の一の三百六十七億円に目減り、儲からない会社への道を着実に歩んだ。同じ製品を改良するばかりで、新しい技術や商品への挑戦を怠ってきたことは歴然としている。世界市場でのマーケティングでも新機軸を打ち出せなかったことは数字が正直に示している。
 こんな状況をなぜ経営陣は看過してきたのか。非常にシンプルではっきりした理由がある。ライバルの衰退だ。ビジネスマン百人にニコンのライバルを尋ねれば九十九人はキヤノンと答えるだろう。デジカメ、一眼レフから半導体露光装置まで主力事業はピタリと重なり、カメラでは世界市場で両社が競い合って技術水準、ブランド力を高めてきたからだ。ニコンにとってキヤノンは常に自社を上回る大きなライバルで、キヤノンをベンチマークとして走って来た。
 だが、そのキヤノンは〇七年以降、業績はニコンどころではない右肩下がり。過去十年間で売上高は四分の三に減り、営業利益、当期純利益に至っては三割の水準にまで沈んだ。キヤノンを見ていれば、ニコンの経営陣、社員は自らの停滞、衰退を深刻に受け止められなかったのだろう。本来なら切磋琢磨すべきライバル同士がお互いの衰退ぶりに安心してしまったというのがニコン、キヤノンの関係だ。
 スマホのカメラ機能がコンパクトデジカメを無用の長物にし、一眼レフは好事家向けのニッチ商品となった以上、両社は半導体製造装置や精密機器、メディカル分野で世界をあっと言わせる商品を開発し、トップを走らなければならなかったはず。だが、半導体露光装置は二十年前には両社が歯牙にもかけなかった蘭ASML社が先進技術に挑み、資金を研究開発に注ぎ込んで、ニコン、キヤノンを抜き去った。ニコンが全盛期に五〇%の世界シェアを握っていた半導体露光装置は今やASMLが七〇%超を押さえ、ニコンは一〇%。キヤノンはASMLが捨てた儲からないローエンド機種で食いつないでいる有様だ。

買収されるか、「東芝」になるか

 岡副社長が主導するリストラで本体は身軽になったとはいえ、優秀な技術者も多数、ニコンを去った。半導体関連分野のエンジニアは世界で引っ張りだこで、ニコンの数倍の給料と研究開発予算を与えられるからだ。リストラで人件費比率は下げられても、新たな成長分野を開拓するパワーは明らかに低下した。
 現状では中国各地で最新鋭の液晶パネル工場が続々建設されているため、ニコンお得意の大型液晶パネル用露光装置の引き合いは強く、利益の四〇%近くを稼ぎ出している。とはいえ、工場新設は今年から来年初がピークで二年後には利益を生む鶏は消える。次の期待の商品は有機EL製造装置だが、ニコンがどこまでシェアを取れるかは疑問だ。
 キヤノンは六千六百五十五億円を投じた東芝メディカルシステムズの買収など医療分野を一気呵成に強化しつつあるが、ニコンにはカネに物を言わせたM&Aの体力はない。といって既存の医療分野の売上高は一六年三月期でようやく百八十三億円。世界のエレクトロニクス、精密機器メーカーが殺到する分野で勝ち抜ける規模とは言いがたい。インストルメンツ部門には自動車、航空宇宙、重機・プラント、土木・建設など幅広い応用分野を持つ工業用コンピューター断層撮影装置(CT)などユニークな商品もあるが、その用途を顧客と開発し、世界に売り込んでいくマーケティング力がニコンにあるのか。
 三菱グループのなかでも、ひときわおとなしい社風で、紳士然とした社員の多いニコンが途上国、新興国でどぶ板を踏み、他社を押しのけて設備やカメラを売れる可能性は薄い。
 となればニコンの運命はふたつだろう。ひとつは日産自動車に買われた三菱自動車のように、大手の半導体、精密機器メーカーによる買収。台湾のTSMC、鴻海(ホンハイ)精密工業や韓国サムスン電子、中国の華為技術(ファーウェイ)など、ニコンの数倍〜十数倍の売り上げを持つ巨人がM&Aのチャンスを狙っている。もうひとつは東芝型で、半導体設備、光学機器など売れる部門を切り売りしていく運命。いずれにせよ一七年三月期決算での赤字転落がニコンの終わりの始まりとなるだろう。

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