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連載

現代史の言霊 第8話

十二月の急襲 1979年(ソ連のアフガニスタン軍事侵攻)
伊熊 幹雄

2018年12月号

《途方もない残虐さで、心身に、ずっと残る傷を負わせた》
ファトゥ・ベンソーダ(国際刑事裁判所検察官)

「俺たちの仕事は、捕虜に悲鳴をあげさせることだ。想像もできない方法で痛めつけ、カラスが巣から逃げ出すような、恐ろしい絶叫をあげるまで、いたぶるのだ」
 アフガニスタンで長年、捕虜の拷問を担当してきたイスラム過激派の戦闘員は、西側の記者に、こんな風に語った。二〇〇一年九月十一日の米国同時多発テロ事件後、米軍主導でアフガニスタン侵攻が行われた時のことだった。
 アフガニスタンにおける残虐行為は、深くて暗い歴史がある。
 二十世紀以降、最初に外国に、その陰惨さが伝えられたのは、一九七九年十二月のソ連軍のアフガニスタン侵攻後である。軍事的には当初、圧倒的に優位だったソ連軍は、「ムジャヒディン」と総称された抵抗勢力の頑強さ、残虐ぶりに、やがて手を焼くことになった。
 山岳地帯を行軍するソ連軍部隊に、山側から何かが落ちてきた。四肢を切断されながら、なお生きていたソ連兵捕虜で、舌と喉だけは残され・・・