日本取引所「山道裕己」の失墜
企業統治の典型的「失敗例」
2025年9月号公開
世界で最も有名な日本人の一人といっても差し支えないだろう。日本取引所グループ(JPX)の取締役兼代表執行役グループCEO(最高経営責任者)を務める山道裕己だ。日経平均株価が過去最高値を更新するなど日本企業が見直されつつある地合いだが、そこには間違いなく山道の貢献があった。
山道の強力なリーダーシップのもと、JPX傘下の東京証券取引所が2023年にPBR(株価純資産倍率)1倍割れ改善改革を掲げ、日本の上場企業は半ば強制的に株価重視に舵を切ることになった。その旗を振った山道は欧米の機関投資家から大絶賛。ある邦銀関係者は、ウォール街で「ミスターヤマジは元気か」と聞かれることが増えたという。
日本株のヒーローとなった山道。だが生憎、最近は一転して苦境に陥っている。ケチの付き始めは昨秋露見したインサイダー取引事件。東証の上場部開示業務室に所属していた細道慶斗被告が24年の1~3月頃、株で儲けさせるために父親に未公表のTOB(株式公開買い付け)情報を伝達したとして金融商品取引法違反の罪に問われた一件だ。
市場の番人であるべき東証職員による古典的なインサイダー事件に、JPX内でも激震が走った。裁判所は細道被告を判決で「市場の公正性、健全性を根底から揺さぶり、投資家の信頼を甚だしく損ねた」と糾弾したが、その言葉はそのまま組織トップの山道にも向けられた。
「粉飾もサポートしたのか」
この一件で山道は月額報酬を2カ月間、50%減額の処分に遭った。しかしそれだけでは終わらない。インサイダー事件は株主総会でも山道を苦しめた。今年6月のJPXの株主総会における取締役選任議案で、米議決権行使助言会社のインスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)が、インサイダー問題を理由に山道再任に反対推奨したからだ。
JPX設立以来、CEOとして最低水準の8割強という賛成率で可決はされたものの、「ミスター日本株」はとんでもない赤っ恥をかく羽目に陥った。
だが次から次へと問題は押し寄せる。足元で最も頭が痛い問題は、東証グロース市場だろう。
PBR改革の大成功に味をしめた山道は今年4月、東証グロース改革なるものを大々的に打ち出した。目玉は「上場10年後に時価総額40億円以上」だった上場維持基準を「上場5年後に時価総額100億円以上」と一気に厳格化するというもの。上場ゴールに陥りがちな新興企業に刺激を与えて、株価浮揚に向けた努力を促そうというものだった。
ところがそのわずか約3カ月後に、東証グロース上場で人工知能(AI)開発のオルツが東京地裁に民事再生法の適用を申請した。オルツは24年の10月に上場したばかり。1年も経たないうちに株式市場から放り出されるという、まさに前代未聞の事態だ。
オルツは売上高の最大9割を過大計上するという粉飾決算が明らかになり、窮地に陥った。その手口は古典的な循環取引だ。しかも前兆はあった。
前任の大手監査法人がオルツの取引の危うさを指摘すると、オルツは監査法人をシドーという中小監査法人に代えたのだ。取引の怪しさを指摘した監査法人をクビにする―。悪事を自供するような愚行である。この前兆を知っていたのに、東証はグロース上場の承認を出した。
東証OBは「最近はMBOなどで非公開化に踏み切る企業が増えてきている。東証が上場企業からもらう年間上場料の先細りを恐れ、IPO(新規公開株式)が多いグロースの審査が甘くなっているのではないか」と指摘する。
タイミングの悪いことに、山道は東証のグロース市場改革を特集した5月末の日本経済新聞の紙面で「(上場予備軍などの経営者に)サポートできることはすべてやる」と説いていた。ある東証関係者は「粉飾もサポートしたのかと言われそうで怖い」と嘆くことしきりだ。
とはいえ、オルツ事件はあくまでもこの企業固有の問題。だがグロース市場に冷や水を浴びせた企業が、じつはもう1社あるのだ。むしろこちらの方が、グロース市場の魅力低下を如実に表す深刻な事例かもしれない。それがマンション向け電力販売を手がけるレジルだ。
レジルは8月、米プライベート・エクイティ(PE)ファンドのベインキャピタルに買収される形で非公開化すると発表した。レジルが上場したのは24年4月。これまた異例の短さで自ら市場を去る決断をした。言い換えれば、1年ちょっと在籍した企業にグロース市場は愛想を尽かされたことになる。
レジル関係者は「思ったほどグロース上場のメリットはなかった。グロースには機関投資家が来てくれないので、株主に厚みもできないし株価上昇にも限界がある」と打ち明ける。しかも上場後に8%強を持つ第4位株主に光通信が浮上した。前出の同社関係者は「光通信は何を仕掛けてくるのかわからない怖さがある」と言う。
上場している以上は、誰でも株を買える。株主を選ぶことができないのは上場企業の宿命だろう。それを上回るメリットがない以上、上場にこだわる理由はないという論理がレジルを非公開化に突き動かした。
不祥事が起き、愛想も尽かされる。これが今の東証グロース市場の実態だ。東証グロース改革を唱える山道は、とんだピエロにも映る。
平和不動産との関係
こうした苦境はJPXの株価にも反映されている。日経平均株価は年初から約1割上昇し、8月には史上最高値を更新した。一方のJPX株は、昨年末と比べ1割近く下げている。ある独立系ファンドマネジャーは辛辣だ。「山道さんは上場企業の株価に注文を付ける前に、自社の株価を見つめ直した方がいい」。
山道にとって頭の痛い問題はまだある。平和不動産だ。著名アクティビストの村上世彰らが平和不動産の株を1割以上買い集め、経営陣を責め立てている。焦点の一つが「東証との関係」(同社関係者)だ。
平和不動産の社長は現在の土本清幸も含め代々東証OBによる事実上の天下りポスト。上場企業、しかも市場の番人が絡むガバナンスとしてはあり得ない。
さらに平和不動産が所有し東証が入居する東京証券取引所ビルの賃料が「周辺よりも不当に安い」という批判は根強い。経営陣が東証OBのため賃料交渉で東証に強く出られず、平和不動産の株主に損害を与えているという批判だ。村上らは「山道さんにも平和不動産と東証の関係はおかしいと噛みついている」(前出の平和不動産関係者)という。
まさに内憂外患。山道の試練は当分終わらない。(敬称略)
山道の強力なリーダーシップのもと、JPX傘下の東京証券取引所が2023年にPBR(株価純資産倍率)1倍割れ改善改革を掲げ、日本の上場企業は半ば強制的に株価重視に舵を切ることになった。その旗を振った山道は欧米の機関投資家から大絶賛。ある邦銀関係者は、ウォール街で「ミスターヤマジは元気か」と聞かれることが増えたという。
日本株のヒーローとなった山道。だが生憎、最近は一転して苦境に陥っている。ケチの付き始めは昨秋露見したインサイダー取引事件。東証の上場部開示業務室に所属していた細道慶斗被告が24年の1~3月頃、株で儲けさせるために父親に未公表のTOB(株式公開買い付け)情報を伝達したとして金融商品取引法違反の罪に問われた一件だ。
市場の番人であるべき東証職員による古典的なインサイダー事件に、JPX内でも激震が走った。裁判所は細道被告を判決で「市場の公正性、健全性を根底から揺さぶり、投資家の信頼を甚だしく損ねた」と糾弾したが、その言葉はそのまま組織トップの山道にも向けられた。
「粉飾もサポートしたのか」
この一件で山道は月額報酬を2カ月間、50%減額の処分に遭った。しかしそれだけでは終わらない。インサイダー事件は株主総会でも山道を苦しめた。今年6月のJPXの株主総会における取締役選任議案で、米議決権行使助言会社のインスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)が、インサイダー問題を理由に山道再任に反対推奨したからだ。
JPX設立以来、CEOとして最低水準の8割強という賛成率で可決はされたものの、「ミスター日本株」はとんでもない赤っ恥をかく羽目に陥った。
だが次から次へと問題は押し寄せる。足元で最も頭が痛い問題は、東証グロース市場だろう。
PBR改革の大成功に味をしめた山道は今年4月、東証グロース改革なるものを大々的に打ち出した。目玉は「上場10年後に時価総額40億円以上」だった上場維持基準を「上場5年後に時価総額100億円以上」と一気に厳格化するというもの。上場ゴールに陥りがちな新興企業に刺激を与えて、株価浮揚に向けた努力を促そうというものだった。
ところがそのわずか約3カ月後に、東証グロース上場で人工知能(AI)開発のオルツが東京地裁に民事再生法の適用を申請した。オルツは24年の10月に上場したばかり。1年も経たないうちに株式市場から放り出されるという、まさに前代未聞の事態だ。
オルツは売上高の最大9割を過大計上するという粉飾決算が明らかになり、窮地に陥った。その手口は古典的な循環取引だ。しかも前兆はあった。
前任の大手監査法人がオルツの取引の危うさを指摘すると、オルツは監査法人をシドーという中小監査法人に代えたのだ。取引の怪しさを指摘した監査法人をクビにする―。悪事を自供するような愚行である。この前兆を知っていたのに、東証はグロース上場の承認を出した。
東証OBは「最近はMBOなどで非公開化に踏み切る企業が増えてきている。東証が上場企業からもらう年間上場料の先細りを恐れ、IPO(新規公開株式)が多いグロースの審査が甘くなっているのではないか」と指摘する。
タイミングの悪いことに、山道は東証のグロース市場改革を特集した5月末の日本経済新聞の紙面で「(上場予備軍などの経営者に)サポートできることはすべてやる」と説いていた。ある東証関係者は「粉飾もサポートしたのかと言われそうで怖い」と嘆くことしきりだ。
とはいえ、オルツ事件はあくまでもこの企業固有の問題。だがグロース市場に冷や水を浴びせた企業が、じつはもう1社あるのだ。むしろこちらの方が、グロース市場の魅力低下を如実に表す深刻な事例かもしれない。それがマンション向け電力販売を手がけるレジルだ。
レジルは8月、米プライベート・エクイティ(PE)ファンドのベインキャピタルに買収される形で非公開化すると発表した。レジルが上場したのは24年4月。これまた異例の短さで自ら市場を去る決断をした。言い換えれば、1年ちょっと在籍した企業にグロース市場は愛想を尽かされたことになる。
レジル関係者は「思ったほどグロース上場のメリットはなかった。グロースには機関投資家が来てくれないので、株主に厚みもできないし株価上昇にも限界がある」と打ち明ける。しかも上場後に8%強を持つ第4位株主に光通信が浮上した。前出の同社関係者は「光通信は何を仕掛けてくるのかわからない怖さがある」と言う。
上場している以上は、誰でも株を買える。株主を選ぶことができないのは上場企業の宿命だろう。それを上回るメリットがない以上、上場にこだわる理由はないという論理がレジルを非公開化に突き動かした。
不祥事が起き、愛想も尽かされる。これが今の東証グロース市場の実態だ。東証グロース改革を唱える山道は、とんだピエロにも映る。
平和不動産との関係
こうした苦境はJPXの株価にも反映されている。日経平均株価は年初から約1割上昇し、8月には史上最高値を更新した。一方のJPX株は、昨年末と比べ1割近く下げている。ある独立系ファンドマネジャーは辛辣だ。「山道さんは上場企業の株価に注文を付ける前に、自社の株価を見つめ直した方がいい」。
山道にとって頭の痛い問題はまだある。平和不動産だ。著名アクティビストの村上世彰らが平和不動産の株を1割以上買い集め、経営陣を責め立てている。焦点の一つが「東証との関係」(同社関係者)だ。
平和不動産の社長は現在の土本清幸も含め代々東証OBによる事実上の天下りポスト。上場企業、しかも市場の番人が絡むガバナンスとしてはあり得ない。
さらに平和不動産が所有し東証が入居する東京証券取引所ビルの賃料が「周辺よりも不当に安い」という批判は根強い。経営陣が東証OBのため賃料交渉で東証に強く出られず、平和不動産の株主に損害を与えているという批判だ。村上らは「山道さんにも平和不動産と東証の関係はおかしいと噛みついている」(前出の平和不動産関係者)という。
まさに内憂外患。山道の試練は当分終わらない。(敬称略)
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