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連載

をんな千一夜 第106話

「最後の将軍」の側室
石井 妙子

2026年1月号

 徳川慶喜の「墓じまい」をすると玄孫にあたる女性が発言して注目を集めている。
 第15代将軍だが、その墓は将軍家の菩提寺である上野の寛永寺ではなく、同じ上野でも都営の谷中霊園にある。
 以前、私も訪れたことがあるが強盗殺人を犯して「明治の毒婦」と言われた死刑囚、高橋お伝の墓からそう遠くない場所に柵で囲われた一角があり、柵越しに墓所を拝んだ。
 寛永寺ではなく、民間人も眠る都営霊園に墓所を作ったのは、徳川幕府を滅ぼしてしまったという立場ゆえのことと聞く。
 大正2(1913)年に亡くなった際も寛永寺で葬儀をするかどうかで、大変にもめたと記録にはある。神式の葬式はやれないという口実で寛永寺側は突っぱね、慶喜ゆかりの旧幕臣が寛永寺を批判して対立が続いた。最後は寛永寺の新設斎場で執り行う、ということで決着がついたそうだ。
 慶喜は水戸藩主の徳川斉昭を父に、有栖川宮織仁親王の娘、吉子女王を母に天保8(1837)年に産まれた。
 尊王の気風が強い水戸徳川家で育ち、御三卿である一橋家の養子となった後、15代将軍となる。ところが、翌々年には鳥・・・

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