三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌会員だけが読める月刊総合情報誌

連載

本に遇う 第319話

棋士と哲学と毒饅頭
河谷 史夫

2026年7月号

 漱石に「趣味の遺伝」と題した小説がある。惹かれ合う男女相愛の機微が、血筋を経て繰り返されるという幻想風の仕立てになっている。性分も体質も似てくるとすれば、人の好き嫌いを担う遺伝子があるのかも知れない。
 無趣味だった親父に似てわたしも無芸だから、「ご趣味は?」などと聞かれると挨拶に困る。薔薇作りに精出す先輩や川柳の会に通う友だちや社交ダンスにお熱を上げる近所の姥桜を見ると、自分には能がないと認めるほかない。酒を呑むだけで、しかし別にしたいこともないのである。
 ただ将棋は指せる。へぼだが新聞の棋譜を読むことができるのは、勝負事を一切しなかった親父をよそに、おふくろが「男は将棋くらいできんといかん」と、駒の動かし方を帳面に描いて教えてくれたおかげである。
 永世棋聖米長邦雄は「兄たちは頭が悪いから東大へ行ったが、私は頭が良いから将棋指しになった」と言ったというが、棋界には驚くべきことが多い。
 何より棋士の天才性だ。大リーガーでも1200人からいるというが、将棋で四段以上の現役プロは4月現在で172人にとどまる。そこには、日本中の小天狗が集まる奨・・・

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます