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政治

小沢はいつ「高転び」するか

政界は今年も「大乱の年」に

2010年1月号公開

「鳩山首相が二〇一〇年を乗り切り、二〇一一年を迎えるという想像力が全くわかない」
 一九九三年の細川護熙連立政権以来、政界の動きをつぶさに見てきた民主党のベテラン秘書は再び二〇一〇年も「大乱の年」と予測した。
 戦後初めての歴史的な政権交代が行われた二〇〇九年。しかし、国民の輿望を担って生まれた鳩山政権は、政権の「試運転期間」である百日間のハネムーンを無為に使い果たした。実績を挙げるどころか、大きな負債をいくつも抱えながらの越年である。 
 

「官邸は癒し系ばかりだ」


 九月に鳩山政権が発足してから印象に残ったことと言えば、予算編成をめぐる事業仕分けぐらいしか頭に浮かんでこない。それも終わってみれば、結果が成果に結び付かず、一時的に爆発的な人気を集めた「事業仕分け劇場」に過ぎなかったことが証明された。
 むしろ首相鳩山由紀夫の外交音痴、無為無策ぶりは目に余った。沖縄普天間飛行場の移設をめぐる迷走はその象徴だ。
 コペンハーゲンで開かれた国連気候変動枠組み条約第十五回締約国会議(COP15)もそうだった。鳩山は出発に先立ち「日本がリーダーシップを発揮するビッグチャンスをもらった。覚悟を持って臨みたい」と述べていた。鳩山のこの自信はどこからくるのか理解に苦しむところだが、米大統領オバマとの日米首脳会談は実現せず、「対等な日米同盟」を叫びながら、逆に格差が広がるという皮肉な状況に追い込まれつつある。
 二〇一〇年は戦前の日韓併合から百年、日米安全保障条約改定から五十年。米国、韓国という日本外交の要中の要である両国との関係が大きな節目を迎える。さらに十一月には横浜でアジア太平洋経済協力会議(APEC)が開かれる。日本は議長国。今の鳩山政権にこれだけのタフな外交をこなせるだろうか。
 早くもメディアの世論調査では越年を待たずに内閣支持率が五割を割り込んだ。朝日新聞四八%、時事通信四六・八%など急落した。細川内閣は退陣直前でも六〇%台を維持していたことを思えばその凋落のスピードには驚くばかりだ。理由は単純明快だ。鳩山が何を目指すのかの哲学を語らず、そして決断しないことである。そこに国民世論の欲求不満がたまり始めたのである。
 これは二〇一〇年度予算の編成作業でも同じだ。十二月十五日の閣議で政府は予算編成方針を決めた。その際に新規国債の発行額を「約四十四兆円以内に抑える」ことになったが、総務相原口一博が「これでは予算編成ができない」と辞職覚悟で閣議決定の署名を拒否する動きに出た。これをなだめたのが金融・郵政改革担当相亀井静香だった。
「特別会計から捻出すればいい。財務省にはあるはずだ。反対なら役人の首を切ればいいんだ」
 本来ならここで財務相藤井裕久の登場ということになるが、藤井の存在感は極めて希薄だ。旧大蔵省出身の藤井は内閣きっての財政通に加え、鳩山の精神安定剤的な存在でもあったはずだ。民主党幹事長小沢一郎との溝が埋まらないことが背景にあるとみられている。藤井は無類の日本酒好きだが、最近は夕方になると省内や議員会館の事務所でワンカップをあおる姿がしばしば目撃されている。
 官房長官平野博文を中心にした首相官邸の機能不全もますます深刻化している。党人派のベテランで行動力のある防衛相北澤俊美は居ても立ってもいられなくなったのだろう。鳩山にこう伝えている。
「官邸は官房長官以下、癒し系ばかりだ。何なら俺が官房副長官として官邸に入ってもいいですよ」
 十二月十九日。原口一博も小沢一郎に進言した。
「総理官邸が全く機能していない。親分が沈黙するから方向性を見失う。少なくとも三言ぐらいは言ってもらいたい。だから内閣がクラゲみたいに漂うことになる」
 今や原口は小沢の側近の一人に数えられる。原口は小沢のことを「親分」と呼ぶそうだ。気の早い向きはポスト鳩山由紀夫のダークホースに原口の名前を挙げるほどだ。それも小沢との近さ故である。
 原口の進言が効いたのか、その後は鳩山が迷走すると、最後は小沢が登場してことを収めるという場面が繰り返された。従来の小沢は自身が表舞台に姿を見せずに裏から政治を支配してきた。それが小沢のカリスマ性を高めることになってきたのだが、小沢は明らかに変身を遂げている。どんどん表舞台で語り始めたのである。
 

「小沢への一元化」がほぼ完成


 その契機になったのが十二月四日夜の首相公邸での鳩山・小沢会談だ。政権発足後初めての生臭い会談と言ってもいい。同席者は小沢と一心同体の民主党参院議員会長の輿石東。もともとこの会談は鳩山が官房長官の平野を通じて四者会談として小沢に十二月五日の土曜日に開くよう申し入れたものだ。ところが小沢が「今日(四日)ならいい」と返事。今度は平野に予定があった。いつもの小沢ならこの時点で会談はお流れだったに違いない。しかし、小沢の日程優先で平野抜きのまま四日に設定されたのだった。
 この会談をきっかけに小沢は表舞台で際立つ動きを見せる。国会議員約百四十人を含む総勢六百人という大訪問団を引き連れて中国入り。天皇面会問題では「政治利用」として強く反発した宮内庁長官羽毛田信吾に辞任要求を突き付けるなど、皇室外交をめぐって大立ち回りを演じている。二〇一〇年度予算編成が大詰めを迎えた十六日には民主党議員らを従えて首相官邸に乗り込み、マニフェストを大幅に塗り替える「重点要望」を鳩山に突き付けている。その席で小沢は「政治主導になっていない」と鳩山に面と向かって言い放った。首相に与党幹事長が衆人環視の中で苦言を呈することなどあり得ないことだ。
 政権発足直後に鳩山と小沢で決めた「政策は鳩山」「党と国会は小沢」という役割分担は崩壊、すべてが小沢の指揮下に入ってしまったのである。「内閣への一元化」ではなく「小沢への一元化」が完成形に近づいたと言っていいだろう。
 小沢の焦りの裏には細川内閣の苦い思い出がある。政治改革最優先のため予算編成を越年させたものの結果として内閣の体力を消耗させ、政権崩壊を招くという経験があった。
 しかし、鳩山の立場に立てば、普天間で日米合意を反故同然にし、鳩山が何度も「国民との約束」を叫んだマニフェストの変更で「公約違反」の汚名を被ることになる。鳩山は臨時国会での所信表明演説に対する代表質問で「マニフェストが実現できなければ責任をとる」と明言している。もちろんそれは四年間の任期中という前提付きだが、それにしても優先度の高いガソリン税などの「暫定税率の廃止」を撤回したことで政権の信用失墜は免れない。
 そして小沢の動きを理解するキーワードはやはり七月に予定される参院選挙だ。十二月十日の中国国家主席胡錦濤との会談でも小沢はあえて参院選に触れた。
「こちらの国に例えれば(日本で)解放の戦いはまだ済んでいない。来夏に最終の決戦がある」
 さらに小沢は十二月二十日、地元岩手の記者会見で参院の議席獲得目標を「六十一議席」と表明した。衆院選で圧勝したとはいえ参院を盤石なものにしなければ、政権は絶えず揺さぶられる。晩年は小沢と複雑な関係に陥った元首相竹下登は「参院を笑うものは参院に泣く」と話していた。現に小沢は一九九二年の旧竹下派分裂劇や九四年の細川政権での政治改革法案の採決などいずれも参院側の反発で政治的窮地に追い込まれている。参院は任期が六年と長く、一度議席が固定されるとそれを動かすには相当な困難が伴う。
 

「自民党から調達すればいい」


 十二月十八日に自民党を離党した参院議員田村耕太郎(鳥取選挙区)の動きも小沢戦略の一環だ。鳥取では小沢は女医の坂野真理の擁立を決めている。坂野の祖父は、小沢が官房副長官を務めていた竹下改造内閣の自治相。鳥取では今なお根強い坂野支持者が存在する。田村には勝ち目は薄いというのが地元の見方だった。
 田村は敗戦覚悟で自民党から立候補するのを避け、民主党入りを模索、さらに民主党から比例代表で出馬するとの見方が有力だ。鳥取は自民党政調会長石破茂のおひざ元。自民党の有力者の足下を揺さぶる戦略は衆院選で実証済みだ。自民党では高齢者の現職の扱いに苦慮しており、自民党に袖にされた高齢者候補を民主に抱き込む動きも伝わってくる。
 こうした一つひとつの戦術も選挙にとって欠かせない勝利の方程式だが、基本は政権を国民有権者が支持してくれるかどうかの世論の流れの方が遥かに重要だ。「鳩山辞任論」が燻ぶるのはこのためだ。小沢は常にあらゆる事態を想定して動いているのは間違いない。
 そんな小沢に対し党内の冷ややかな目があるのも事実だ。しかし、ほとんどの民主党議員は体を硬くして多くを語らない。
 これに対して小沢側近は「仮に鳩山さんが辞めても代表選では小沢さんがイエスという人以外は勝てない。参院選で単独過半数を取れなくても、自民党から調達すればいい」と自信満々だ。
 党内の反小沢勢力のうち、外相岡田克也は求心力を失いつつある。逆に存在感を高める国土交通相前原誠司には小沢との「手打ち説」が流れる。
 一方の自民党も苦境が続く。鳩山の失敗が自民党の加点にならないからだ。野党転落後初めて注目を浴びたのが、総裁谷垣禎一の自転車事故というのも情けない話だ。小沢の選挙戦略・戦術を知り尽くす二階俊博は秘書の西松建設からの献金をめぐる事件の責任をとり選対局長を辞任した。二階引き摺り降ろしの裏には町村信孝がいた。難破船の操舵室の争いは自民凋落の象徴だ。自民党の戦略は「鳩山で選挙をやりたい」(自民党幹部)というぐらいしかない。
 かつて小沢と確執を続けた元官房長官野中広務でさえ予算の陳情で小沢に頭を下げた。もはや日本の政治は丸ごと「小沢カラー」に染め上げられていく印象だが、小沢は常に「高転び」をする政治家でもある。西松建設事件も決着していない。年明けの政局は首相と与党の幹事長がともに金銭スキャンダルを抱えてのスタートという異例の展開が予想される。二〇一〇年も「大乱世」である。
(敬称略)


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