後継社長を外部に求めるNEC派閥抗争の果てに
通信・コンピュータの名門、NECにおいて、水面下で矢野薫社長の"後継探し"が始まっている。候補探しが「社内」で行われていれば、何も驚くにあたらない。就任から三年が経過、業績も急悪化しており、社長交代があってもおかしくはないからだ。しかし、実は「社外」で社長探しが行われているのだ。
年明けにヘッドハンターを通じてNEC社長就任を打診されたのは、ある外資系IT系会社のOB。「何度か会った後、ようやく聞いた社名がNECだった。思う存分、改革を進めてほしいとのことだった。矢野社長も公認というから恐れ入った」。
このOBは悩んだ末、結局は「高齢のため激務に耐えられない」と断った。声を掛けられたのはこのOBだけではない。このOBに打診が来る前に、やはりヘッドハンターから声を掛けられた電機メーカー出身者がいる。「前の会社を辞めてから多くのヘッドハンターと会ったが、国内大手はNECだけであとは外資系。僕のところに回ってくるということは、相当、多くの人に打診しているのだと思うが、恐ろしくて近づきたくない」。
いったい、NEC社内で何が起きているのだろうか。
NECの二〇〇九年三月期決算の営業赤字は六十二億円。総崩れの電機決算の中では傷が浅いほうだが、同じコンピュータ会社である富士通が六百八十七億円の営業黒字を計上しているのと比較すると、まったくほめられたものではない。いや、むしろその弱体ぶりは業界各社に比して際立っているとさえいえる。公募増資により一服できた東芝、史上最大の赤字を出しながらも不動産売却、子会社売却などの糊代を持っている日立製作所、コンピュータシステムへの資源集中をほぼ終えている富士通は、NECに比べればまだマシに見える。「NECは主要不動産を証券化しているため、新規借り入れを行うにも担保が不足している状況だ」(三井住友銀行)。株式時価総額は、七千五百億円に過ぎず、一兆円超の富士通、三菱電機、シャープに及ばない評価。好調な子会社があるわけでもない。
前任者を否定する経営
〇九年三月期が赤字に陥った理由は、分社化した半導体事業と通信インフラ事業の不振だ。「弱い事業(半導体事業)が市況悪化にあわせて悪くなったのは責めようがない。それに対し、伸びなければならない大黒柱(通信インフラ)が失速したことが問題だ」(証券アナリスト)。通信インフラのセグメント営業利益は〇八年三月期の七百八十億円から四百三十億円へ急悪化している。確かに、この失速さえなければ全社の営業赤字転落は免れた。
一方で同社にあっても好調なのがコンピュータ事業だ。ITサービス、ITハードを合わせたセグメント営業利益はこの厳しい環境下で、〇八年三月期の七百億円から七百七十億円へ増益となった。
ここで問題になるのが矢野社長の出自。矢野社長は入社後、NTTなどに大型の通信設備を納入する伝送事業本部一筋だ。伝送事業本部長、NECアメリカ社長など、同社社長を輩出する王道部門を歩み、平生であれば金子尚志氏(一九九四?九九年社長在任)の後任となる道が開けていた。
ところが、防衛庁から受注した空自関連施設の原価水増し問題の混乱を受け、当時の実力者だった関本忠弘会長が、金子社長まで巻きこんで辞任し、NEC経営中枢は乱世に突入。まったくの傍流(通信ではなくコンピュータ、技術ではなく営業)から社長が誕生した。西垣浩司氏(九九?〇三年)、故・金杉明信氏(〇三?〇六年)だ。
西垣時代の特徴はパソコン切り捨て、半導体切り捨て。かつてNECの稼ぎ頭だったDRAMを日立製作所との合弁会社(現エルピーダメモリ)の事業とし、その他の半導体はNECエレクトロニクスとして分社化された。経営中枢を大型・中型のコンピュータを扱ってきた府中事業場出身者で固め、同じ系列でもパソコン部隊には冷や飯を食わせた。
通信出身の実力者も子会社へ放出。矢野氏も経営中枢に加わることはなく、常務、専務として社内分社化した通信事業のカンパニープレジデントにとどまっていた。
その矢野氏は、体調不良を理由に退任した金杉氏のあとを襲い、約七年の雌伏を経て〇六年に社長となった。社長就任と同時に金杉氏が決めていた〇六年度人事を振り出しに戻し、通信系の人材の復権を図るなど強権を発動。このときのすさまじいまでの矢野氏の巻き返しは、社内では「文化大革命」ともいわれた。
なぜ矢野氏がここまで激しく動いたのかと言えば、金杉社長が通信事業における大手韓国企業との提携を模索していたからだと言われている。「矢野さんは当時、副社長。にもかかわらずNTTを経由してその話を知ったことに大きなショックを受け、金杉降ろしに動いた」(NEC関係者)。
西垣、金杉時代に崩れた伝送事業本部の覇権。矢野新社長はそれを一気に取り戻し、「NTTとともに躍進するNEC」という絵図への復帰を目指した。矢野政権では過去二人の社長の業績は徹底して否定された。
社長は外部招聘しかない
矢野氏は通信事業強化を打ち出し、NTTが進める次世代ネットワーク「NGN」や海外の大型プロジェクト獲得で成果を挙げる。そして確かに、〇六、〇七年は通信インフラが大きく稼いだ。通信インフラ部隊の本拠地である玉川事業場では、すでに完工した二つの高層ビルに加え、昨年秋には百四十億円を掛けた新オフィスビルの建設を始めるなど、不振企業とは思えないほど設備投資のアクセルを踏んだ。
ところが昨年度は業績が急悪化。金融危機に端を発する通信キャリアの投資落ち込みだけでなく、「中国メーカー、華為技術とのシェア争いで劣勢になっているのも原因だ」(アナリスト)。強権でならす矢野氏の存立基盤はきわめて危うくなってしまった。
社内の亀裂は深い。ポスト矢野を、通信系から持ってくればコンピュータ系は納得いかない。だからといって実績を上げているコンピュータ系から社長を選べば、事業の力点が変わり、通信系は冷や飯を食わされる。NECには、普通の会社であれば必ずいるはずの「本社系、管理系」の有能な人材がいない。であれば、社長を外部から招聘するしかないのだ。
NECは歴代、社長は孤独だ。矢野社長の周辺にも歴代社長と同様、ブレーンは居らず、裸の王様。「外部のコンサルティング会社と組みながら、意思決定を進めてきており、何をやるにもコンサルタントが出てくる。社内は完全にしらけている」(NEC幹部)。そして今や、コンサルの意見を取り入れて、全社をまとめるためには社外から経営者を呼ぶしかない、と判断しているようなのだが、それでは社内は混乱するだけだろう。こうした前代未聞の社長探しこそが、派閥抗争の果てに人材を失い、今にも分裂しかねないNECの社内基盤の脆弱さを象徴しているのだ。
この六月の株主総会では矢野氏は続投の方向だ。リーダーが掲げる旗の下に全社が集結できなくなったこの会社において、外部から社長を呼ぶことは、もはやサプライズではないのかもしれない。
年明けにヘッドハンターを通じてNEC社長就任を打診されたのは、ある外資系IT系会社のOB。「何度か会った後、ようやく聞いた社名がNECだった。思う存分、改革を進めてほしいとのことだった。矢野社長も公認というから恐れ入った」。
このOBは悩んだ末、結局は「高齢のため激務に耐えられない」と断った。声を掛けられたのはこのOBだけではない。このOBに打診が来る前に、やはりヘッドハンターから声を掛けられた電機メーカー出身者がいる。「前の会社を辞めてから多くのヘッドハンターと会ったが、国内大手はNECだけであとは外資系。僕のところに回ってくるということは、相当、多くの人に打診しているのだと思うが、恐ろしくて近づきたくない」。
いったい、NEC社内で何が起きているのだろうか。
NECの二〇〇九年三月期決算の営業赤字は六十二億円。総崩れの電機決算の中では傷が浅いほうだが、同じコンピュータ会社である富士通が六百八十七億円の営業黒字を計上しているのと比較すると、まったくほめられたものではない。いや、むしろその弱体ぶりは業界各社に比して際立っているとさえいえる。公募増資により一服できた東芝、史上最大の赤字を出しながらも不動産売却、子会社売却などの糊代を持っている日立製作所、コンピュータシステムへの資源集中をほぼ終えている富士通は、NECに比べればまだマシに見える。「NECは主要不動産を証券化しているため、新規借り入れを行うにも担保が不足している状況だ」(三井住友銀行)。株式時価総額は、七千五百億円に過ぎず、一兆円超の富士通、三菱電機、シャープに及ばない評価。好調な子会社があるわけでもない。
前任者を否定する経営
〇九年三月期が赤字に陥った理由は、分社化した半導体事業と通信インフラ事業の不振だ。「弱い事業(半導体事業)が市況悪化にあわせて悪くなったのは責めようがない。それに対し、伸びなければならない大黒柱(通信インフラ)が失速したことが問題だ」(証券アナリスト)。通信インフラのセグメント営業利益は〇八年三月期の七百八十億円から四百三十億円へ急悪化している。確かに、この失速さえなければ全社の営業赤字転落は免れた。
一方で同社にあっても好調なのがコンピュータ事業だ。ITサービス、ITハードを合わせたセグメント営業利益はこの厳しい環境下で、〇八年三月期の七百億円から七百七十億円へ増益となった。
ここで問題になるのが矢野社長の出自。矢野社長は入社後、NTTなどに大型の通信設備を納入する伝送事業本部一筋だ。伝送事業本部長、NECアメリカ社長など、同社社長を輩出する王道部門を歩み、平生であれば金子尚志氏(一九九四?九九年社長在任)の後任となる道が開けていた。
ところが、防衛庁から受注した空自関連施設の原価水増し問題の混乱を受け、当時の実力者だった関本忠弘会長が、金子社長まで巻きこんで辞任し、NEC経営中枢は乱世に突入。まったくの傍流(通信ではなくコンピュータ、技術ではなく営業)から社長が誕生した。西垣浩司氏(九九?〇三年)、故・金杉明信氏(〇三?〇六年)だ。
西垣時代の特徴はパソコン切り捨て、半導体切り捨て。かつてNECの稼ぎ頭だったDRAMを日立製作所との合弁会社(現エルピーダメモリ)の事業とし、その他の半導体はNECエレクトロニクスとして分社化された。経営中枢を大型・中型のコンピュータを扱ってきた府中事業場出身者で固め、同じ系列でもパソコン部隊には冷や飯を食わせた。
通信出身の実力者も子会社へ放出。矢野氏も経営中枢に加わることはなく、常務、専務として社内分社化した通信事業のカンパニープレジデントにとどまっていた。
その矢野氏は、体調不良を理由に退任した金杉氏のあとを襲い、約七年の雌伏を経て〇六年に社長となった。社長就任と同時に金杉氏が決めていた〇六年度人事を振り出しに戻し、通信系の人材の復権を図るなど強権を発動。このときのすさまじいまでの矢野氏の巻き返しは、社内では「文化大革命」ともいわれた。
なぜ矢野氏がここまで激しく動いたのかと言えば、金杉社長が通信事業における大手韓国企業との提携を模索していたからだと言われている。「矢野さんは当時、副社長。にもかかわらずNTTを経由してその話を知ったことに大きなショックを受け、金杉降ろしに動いた」(NEC関係者)。
西垣、金杉時代に崩れた伝送事業本部の覇権。矢野新社長はそれを一気に取り戻し、「NTTとともに躍進するNEC」という絵図への復帰を目指した。矢野政権では過去二人の社長の業績は徹底して否定された。
社長は外部招聘しかない
矢野氏は通信事業強化を打ち出し、NTTが進める次世代ネットワーク「NGN」や海外の大型プロジェクト獲得で成果を挙げる。そして確かに、〇六、〇七年は通信インフラが大きく稼いだ。通信インフラ部隊の本拠地である玉川事業場では、すでに完工した二つの高層ビルに加え、昨年秋には百四十億円を掛けた新オフィスビルの建設を始めるなど、不振企業とは思えないほど設備投資のアクセルを踏んだ。
ところが昨年度は業績が急悪化。金融危機に端を発する通信キャリアの投資落ち込みだけでなく、「中国メーカー、華為技術とのシェア争いで劣勢になっているのも原因だ」(アナリスト)。強権でならす矢野氏の存立基盤はきわめて危うくなってしまった。
社内の亀裂は深い。ポスト矢野を、通信系から持ってくればコンピュータ系は納得いかない。だからといって実績を上げているコンピュータ系から社長を選べば、事業の力点が変わり、通信系は冷や飯を食わされる。NECには、普通の会社であれば必ずいるはずの「本社系、管理系」の有能な人材がいない。であれば、社長を外部から招聘するしかないのだ。
NECは歴代、社長は孤独だ。矢野社長の周辺にも歴代社長と同様、ブレーンは居らず、裸の王様。「外部のコンサルティング会社と組みながら、意思決定を進めてきており、何をやるにもコンサルタントが出てくる。社内は完全にしらけている」(NEC幹部)。そして今や、コンサルの意見を取り入れて、全社をまとめるためには社外から経営者を呼ぶしかない、と判断しているようなのだが、それでは社内は混乱するだけだろう。こうした前代未聞の社長探しこそが、派閥抗争の果てに人材を失い、今にも分裂しかねないNECの社内基盤の脆弱さを象徴しているのだ。
この六月の株主総会では矢野氏は続投の方向だ。リーダーが掲げる旗の下に全社が集結できなくなったこの会社において、外部から社長を呼ぶことは、もはやサプライズではないのかもしれない。
















