日本の「水源林」が狙われている水不足に乗じて外資が食指
日本の山林にグローバル資本による買収の手が秘かに伸びている。二〇〇八年一月、三重県大台町の大規模山林に対して中国系資本が買収交渉をもちかけた。ダム湖上流部に広がる一千ヘクタール以上の森林を伐採し、そこで得た木材を名古屋港から中国へ輸送するという構想だ。地元自治体の慎重姿勢により売買は成立しなかったものの、仲介にあたったバイヤーは、新たな物件を求め別の地域へと向かった。
同年六月、長野県天龍村でも同様の動きがあった。東京から現地に足を運んだバイヤーが、同行の関係者に中国の木材需要や飲料水事情を紹介しつつ、流域一帯の大面積森林なら時価の数倍で売買されるだろうと語りながら、山林の物件を探したという。
長引く林業不振の中、表立ってはないが類似の情報を日本各地で聞くようになった。
疲弊する地方が「買い時」
山林買収が進む原因は様々である。我が国の場合、直接的には山林が不当に安いからだ。林地の価格は十七年連続の下落で、一九七〇年代半ばの水準より安い。立木価格も八〇年代以降、二十五年以上にわたって下がり続けている。まともに山を管理・営林しようとすればとても採算は合わない。だが、安い山林を購入後、皆伐し、非合法だがその後の植林を放棄すれば、木材利益が見込める。そのため、投資目的の不動産会社が、経営の立ち行かなくなった山林所有者から山を購入し、立木だけを伐採して山を放置するといったケースが各地で増加している。
山林買収のさらなる動機は「水」だ。世界の水需給が逼迫していく中、水資源の源である森林資源、すなわち水源林を確保しようとする動きが各国で活発化している。特に中国ではペットボトルの水に対する需要が急速に伸びており、九七?二〇〇四年の間に需要は四倍、年間消費量は九十八億リットルにまで拡大した。水メジャーやウオーター・バロンズ(水男爵)と呼ばれる大手水企業は水源地の利権獲得のための買収活動を世界各地で展開中だ。ウオーター・ファンドと呼ばれる水資源事業への投資マネーの流入もここ数年急増している。こうした世界的潮流の中で、我が国の不当に安い山林が「買い」だと目されているのだ。
中部・九州地方では、山林だけでなく、酒造会社やボトラー(瓶詰め)企業の買収事例も聞かれる。彼らがもつ地下水の取水口(山林含む)が魅力的だからだ。地方経済が疲弊する中、酒造メーカーの没落は著しい。経営不振で自社資本を売り急ぐ酒造メーカーやボトラーが、海外資本の格好の買収ターゲットになっている。
こうした買収劇に共通するのは、いずれも買い手が仲介者やダミー会社を多用する点だ。バイヤーを二重三重に介在させることで、真の出資者を明らかにさせない。地元の山主が個別の経済的事情から手放した山林が、将来の利用計画も明かされないまま、複雑な転売経路をたどり、知らないうちに予想外の所有者の手に渡っている。
実態さえ把握できぬ行政
だが、各地で仄聞されるこうした森林買収の実態を正確に把握することは極めて難しい。森林の約六割が、私有林と呼ばれる個人や企業の所有である。私有林を含め土地の転売は国土利用計画法第二十三条によって事後届出(都市計画区域外では一ヘクタール以上の売買のみ)が義務付けられてはいるものの、届け出られた転売事例はデータとして万全に把握・分析されているとは言い難い。
加えて、そもそも我が国では国土の地籍調査が未だ半分も進んでいない。大半の山林では正確な所有実態はもとより、面積把握すらできていないという驚くべき状況なのだ。地籍調査が進んでいないため、不動産登記簿も山林の現状については正確性を欠いている。所有者の登記漏れ(名義変更漏れなど)や、登記件数が膨大なこともあり、登記簿だけでは所有の状況を把握することは不可能に近い。
つまり、国の森林資源について、誰が、どこを、何の目的で所有しているのか、国として現状を把握する仕組みがないのである。国土調査や土地利用規制は国土交通省、森林行政一般は林野庁、地下水を含む環境行政一般は環境省、このほか厚生労働省、経済産業省など、森林資源や地下水を含む水資源の保全に関しては所管が複数の官庁に分かれており、包括的な行政が行われていない。
民間の政策シンクタンクの東京財団が今年一月に発表した提言書「日本の水源林の危機」で指摘しているとおり、森林資源は、個人や企業などの私有財産であると同時に、我々のライフラインである水資源を涵養するなど、国の基本インフラとしての性格を持つ。
かつて我が国で林業経営が成り立っていたころは、そうした森林資源が持つ公益的機能は、山林所有者が自分の山を大切に手入れしたことである程度維持されていた。だが、農山村が疲弊し林業就業者が全国でわずか約五万人(うち二六%が六十五歳以上)にまで減少した今、多くの山林が所有者もわからないまま放置されている。
現行法の骨格は、かつて国産木材の需要が高く、林業経営が盛んだったころに制定されたものだ。林業家の経営難、不在村地主の増加などによる現下の間伐放棄や植林放棄の急増は、立法当時からすれば想定外であり、そうした行為を強く是正できる法制度にはなっていない。短期の私的利潤をグローバルに追求する思惑から、日本の森林や地下水を守るためのルール整備は、ほとんど手つかずといっていい。ましてや、農地以外は土地の転売自体を規制する法律さえないのが実態だ。民法は「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ。」(第二百七条)と定めている。つまり、誰でも地権者になれば「地下水も温泉も自分のものだ」と主張できる可能性がある。
仮に、私有林が外資に買い占められ地下水の権利をめぐって係争が起きれば、周辺住民の訴訟相手となるのは、水源林や地下水の占有の合法性を根拠に徹底対抗するかもしれない組織(企業、ファンド)である。すでに米国ミシガン州では、ネスレ社(スイス)傘下のペリエ社が出資するボトル・ウオーター企業が地域住民と水争いを演じている。住民はそういった組織と、公共・社会性をめぐって議論を始めなければならないのだ。長い係争中、その土地の帰属は変わることはなく、利用実態もそのままになることが懸念される。
地下水の過度な揚水による地盤沈下などの形質変化がいったん起きると、周辺環境を修復するためには百年単位の時間を必要とする。水源林が予想外の地権者の手にわたり、乱開発や過度な取水などによって周辺住民の安心・安全が脅かされるようになってからでは手遅れなのである。森林行政における国の不作為はあまりに罪深い。
こうした観点から今の我が国の制度をみた場合、水源林保全や地下水保全のための一連のルールはあまりに不備だと言わざるを得ない。水源林を国の基幹的インフラと位置づけた上で、水源林保全や地下水保全にかかる省庁横断的な管理行政を早急に確立することが必要だ。
同年六月、長野県天龍村でも同様の動きがあった。東京から現地に足を運んだバイヤーが、同行の関係者に中国の木材需要や飲料水事情を紹介しつつ、流域一帯の大面積森林なら時価の数倍で売買されるだろうと語りながら、山林の物件を探したという。
長引く林業不振の中、表立ってはないが類似の情報を日本各地で聞くようになった。
疲弊する地方が「買い時」
山林買収が進む原因は様々である。我が国の場合、直接的には山林が不当に安いからだ。林地の価格は十七年連続の下落で、一九七〇年代半ばの水準より安い。立木価格も八〇年代以降、二十五年以上にわたって下がり続けている。まともに山を管理・営林しようとすればとても採算は合わない。だが、安い山林を購入後、皆伐し、非合法だがその後の植林を放棄すれば、木材利益が見込める。そのため、投資目的の不動産会社が、経営の立ち行かなくなった山林所有者から山を購入し、立木だけを伐採して山を放置するといったケースが各地で増加している。
山林買収のさらなる動機は「水」だ。世界の水需給が逼迫していく中、水資源の源である森林資源、すなわち水源林を確保しようとする動きが各国で活発化している。特に中国ではペットボトルの水に対する需要が急速に伸びており、九七?二〇〇四年の間に需要は四倍、年間消費量は九十八億リットルにまで拡大した。水メジャーやウオーター・バロンズ(水男爵)と呼ばれる大手水企業は水源地の利権獲得のための買収活動を世界各地で展開中だ。ウオーター・ファンドと呼ばれる水資源事業への投資マネーの流入もここ数年急増している。こうした世界的潮流の中で、我が国の不当に安い山林が「買い」だと目されているのだ。
中部・九州地方では、山林だけでなく、酒造会社やボトラー(瓶詰め)企業の買収事例も聞かれる。彼らがもつ地下水の取水口(山林含む)が魅力的だからだ。地方経済が疲弊する中、酒造メーカーの没落は著しい。経営不振で自社資本を売り急ぐ酒造メーカーやボトラーが、海外資本の格好の買収ターゲットになっている。
こうした買収劇に共通するのは、いずれも買い手が仲介者やダミー会社を多用する点だ。バイヤーを二重三重に介在させることで、真の出資者を明らかにさせない。地元の山主が個別の経済的事情から手放した山林が、将来の利用計画も明かされないまま、複雑な転売経路をたどり、知らないうちに予想外の所有者の手に渡っている。
実態さえ把握できぬ行政
だが、各地で仄聞されるこうした森林買収の実態を正確に把握することは極めて難しい。森林の約六割が、私有林と呼ばれる個人や企業の所有である。私有林を含め土地の転売は国土利用計画法第二十三条によって事後届出(都市計画区域外では一ヘクタール以上の売買のみ)が義務付けられてはいるものの、届け出られた転売事例はデータとして万全に把握・分析されているとは言い難い。
加えて、そもそも我が国では国土の地籍調査が未だ半分も進んでいない。大半の山林では正確な所有実態はもとより、面積把握すらできていないという驚くべき状況なのだ。地籍調査が進んでいないため、不動産登記簿も山林の現状については正確性を欠いている。所有者の登記漏れ(名義変更漏れなど)や、登記件数が膨大なこともあり、登記簿だけでは所有の状況を把握することは不可能に近い。
つまり、国の森林資源について、誰が、どこを、何の目的で所有しているのか、国として現状を把握する仕組みがないのである。国土調査や土地利用規制は国土交通省、森林行政一般は林野庁、地下水を含む環境行政一般は環境省、このほか厚生労働省、経済産業省など、森林資源や地下水を含む水資源の保全に関しては所管が複数の官庁に分かれており、包括的な行政が行われていない。
民間の政策シンクタンクの東京財団が今年一月に発表した提言書「日本の水源林の危機」で指摘しているとおり、森林資源は、個人や企業などの私有財産であると同時に、我々のライフラインである水資源を涵養するなど、国の基本インフラとしての性格を持つ。
かつて我が国で林業経営が成り立っていたころは、そうした森林資源が持つ公益的機能は、山林所有者が自分の山を大切に手入れしたことである程度維持されていた。だが、農山村が疲弊し林業就業者が全国でわずか約五万人(うち二六%が六十五歳以上)にまで減少した今、多くの山林が所有者もわからないまま放置されている。
現行法の骨格は、かつて国産木材の需要が高く、林業経営が盛んだったころに制定されたものだ。林業家の経営難、不在村地主の増加などによる現下の間伐放棄や植林放棄の急増は、立法当時からすれば想定外であり、そうした行為を強く是正できる法制度にはなっていない。短期の私的利潤をグローバルに追求する思惑から、日本の森林や地下水を守るためのルール整備は、ほとんど手つかずといっていい。ましてや、農地以外は土地の転売自体を規制する法律さえないのが実態だ。民法は「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ。」(第二百七条)と定めている。つまり、誰でも地権者になれば「地下水も温泉も自分のものだ」と主張できる可能性がある。
仮に、私有林が外資に買い占められ地下水の権利をめぐって係争が起きれば、周辺住民の訴訟相手となるのは、水源林や地下水の占有の合法性を根拠に徹底対抗するかもしれない組織(企業、ファンド)である。すでに米国ミシガン州では、ネスレ社(スイス)傘下のペリエ社が出資するボトル・ウオーター企業が地域住民と水争いを演じている。住民はそういった組織と、公共・社会性をめぐって議論を始めなければならないのだ。長い係争中、その土地の帰属は変わることはなく、利用実態もそのままになることが懸念される。
地下水の過度な揚水による地盤沈下などの形質変化がいったん起きると、周辺環境を修復するためには百年単位の時間を必要とする。水源林が予想外の地権者の手にわたり、乱開発や過度な取水などによって周辺住民の安心・安全が脅かされるようになってからでは手遅れなのである。森林行政における国の不作為はあまりに罪深い。
こうした観点から今の我が国の制度をみた場合、水源林保全や地下水保全のための一連のルールはあまりに不備だと言わざるを得ない。水源林を国の基幹的インフラと位置づけた上で、水源林保全や地下水保全にかかる省庁横断的な管理行政を早急に確立することが必要だ。
















